こころのカタチ

2015.11.01

新書体「まごころ3兄弟」

先日40年ぶりに、古い友人と会うことができた。年に一度の年賀状で40年。毎年毎年、会わなきゃと思いつつ40年も経ってしまった。同じ会社勤めの同期の桜だ。職場は違ってたが寮も同じで、よく遊んだ3バカの一人だ。よく食堂で会社を辞める話をしてたが、私だけが辞めてしまって、2人ともずっと勤めていてる。定年まで残り1年。大したものだ。昼間から渋谷で一杯やりながら、昔ばなしに花が咲く。忘れかけてた事や、当時は気づかなかった事、全く違う人生を送った事や、話は尽きない。懐かしい話、1975年当時の自分たちを眺めているようでもあった。40年経っても、見かけはお互い随分変わったが、中身は当時と同じまま。成長が止まった親父だ。うれしかったな。良い酒が飲めた。もう一人の友人は今は同じ勤務地らしい。ってことで、今度3人+同期の仲間と九州で。と言うことであっという間の時間だった。楽しみだな。
今年のはじめから、とりかかった「まごころ」ができあがった。知人の45周年のライブで感動をもらったり、古い友との再会でやさしさをもらったり、といろんな事を感じながら制作した書体。頑張らすぎず、自然体で。ことばの背景にある優しさみたいなものを感じて貰えるとうれしい。次書体は来年春頃、「青空」。

2015.01.01

あけまして おめでとう ございます。

昨年はいっぱい
ありがとうございます。
今年もいっぱい
よろしくお願いします。

さいくさやすし。

2014.12.25

新書体「タイプ7」

今年も残すとこ後少し。毎年、年末になると、1年が早かったなぁ。って思ってしまう。日に日に時間が短くなってきてるようにも感じる。後何年、生きられるんだろうと思う歳になってきた。まだまだくたばる訳にはいかないが。
今年は名優の、高倉健さんと菅原文太さんが亡くなった。とても寂しいことだ。高倉健さんの「網走番外地」は毎年、私の田舎の夏祭りの歌謡大会で、ねじりはちまきの漁師が必ず歌う歌で、小学生だった私もすっかり、覚えてしまった。厳つい男たちもあこがれた、日本で一番かっこいい男だったな。私が20歳の頃に見た、「黄色ハンカチ」の最後のシーンは何度見てもいいな。菅原文太さんは、「トラック野郎」だな。長距離トラックの運転手が化粧したデコトラで自慢げに走り回った。みんなあこがれたんだな一番星。亡くなる直前の、沖縄知事選挙の演説は最高によかった。一つの時代が終わってしまった。時代はどんどん変わって行くんだな。。。
食べるものも変わり、着るもの変わり、聴く音も変わり、住んでいるところも変わり、少しずつではあるが、自分自身も変わってはいる筈だが、いろんなことを経験し、自分のここちよさが、絞られてきたようにも思う。そんなことを思いながら制作した「タイプ7」ができあがった。ヒッピースタイル、ラッパズボン、IVY。トラッド。自分流ということで「タイプ7]という名前にした。正装とまでいかないが、少しい小綺麗にジャケットとジーンズ、白いシャツ姿のカジュアルトラッドと言う感じかな。私と同じクリスマス生まれ。良い表情を見せてくれるとうれしいのだが。
来年はずっと手をいれたいと思っていた10数年前に制作したこころ書体。その頃の気分と全く違うので、新たな気持ちで、新スタイル「まごころ」として、制作する予定。長丁場になりそうだが、来年秋、冬頃には完成させたいと思う。

2014.08.25

新書体「アングラ」

今年の初め、ミュージシャンでもあり音楽プロデューサーの佐久間正英さんがガンでなくなった。61歳だった。佐久間さんはGLAY、BOOWY BLUE HEARTS、エレファントカシマシなどなどあらゆるタイプのバンドをプロデュースされた方で、その道での達人だ。プロデュースするバンドの中で、このバンドには何が足りないか?今あるバンドの個性を最大限に引き出すため、足りない部分を補うということをするらしい。たとえばギターの音が足りなければ、ピックの弦に当て方まで細かく指導するするらしい。佐久間式ピッキングというらしい。リズムも1/1000まで聴きわけるそうだ。いい音を創るという一点を追い求めてきたアーティストだ。毎日1曲創ってたらしく、亡くなる直前まで、レコーディングしてたそうだ。すごい方だと改めて思う。運良くNHKの特番も見ることができた。元伝説のバンド、ジャックスのリーダーでもあり、ヴォーカルでもある早川義夫さんの(今はソロで活動されている)ライブで、何度か聴くことができた。ジャックスは60年代、GS、ロック、フォークの時代に、サイケデリック・ロック言うらしいが、型にははまらない、オリジナルだけを追求していこう活動していたバンドで、かなりメーセージ性の強いバンドで、当時としては、かなり異様で、期待されつつもわずが2.3年で解散してしまった。その早川さんの「風月堂」という歌の中に、新宿風月堂を歌った歌がある。(今ある洋菓子の風月堂とは無関係)1946~1973年まで営業してたようだが、戦後の新宿を代表する著名な喫茶店があったようだ。作家や芸術家のタマゴが集まる芸術喫茶。寺山修司、三國蓮太郎、ビートたけし、岡本太郎。安藤忠雄、五木寛之…出入りしてたようだか、今では蒼々たる顔ぶれだが、当時はまだまだ無名で、「詩人とか絵描きとかだれも名を知らない、…そんな空気は今はない。」と歌われている。佐久間さんも早川さんにあこがれて、最初に会った場所がこの新宿風月堂らしい。目指す方向は違っても、何かを求めていた若者が集まって来るようなところだったようだ。この時代に生まれていれば、一度は行って見たかったと思う。私の青春時代は、フォーク時代で、やっぱり、私自身はさわやかなカレッジフォークより、手作り感覚がある、アナログ的でメッセージ性の強いのものが心に響いたし、今でも好きなようだ。アングラフォークがいい。そんなことを思いながら、そんな音を聴きながら、制作した「アングラ」。枠にはまらない、型にはまらない書体を目指した。アナログ作業からはじめたが、思ったよりも随分と時間がかかってしまった。やっとこさ、完成。ほっと一息。後回しにしてきた、グラフィックの仕事を片づけて、少し休んで、次の書体にかかろうと思う。次は「TYPE 7」来春めざして。

2013.12.15

新書体「ゆたんぽ」

早いもので今年も後半月。毎年毎年、この時期になると1年があっという間に過ぎていってしまったように思う。当然、日に日に体も寿命も老いて行くんだな。若い頃は歳をとるなんて思ってなかったが、美しく老いて生きたいものだ。団塊世代がもう高齢者の仲間になり、総人口の4人に1人が高齢者になってしまったようだ。やだやだ。40年ぐらい前のそんな人たちのフォークソングが私の青春でもあったし、貧しかった時代でも、夢を追ってた人たちがいっぱいの時代でもあったな。音楽活動では食えないがために休止してた人たちが、今度は楽しみながらの活動をしている。ちょくちょくライブに出かけて楽しませてもらっている。私が小学生の低学年の頃は、雪も降ったし、寒かった。まだまだ暖房器具といえば、火鉢で、途中から、練炭火鉢に変わって、4方を囲んで暖をとった。部屋の密閉度も良くなかったから、すきま風が。お陰で一酸化素炭素中毒はあまりなかったようだ。テレビも白黒。子どもの遊びと言えば、チャンバラ、たこ揚げ、独楽回し、石蹴り、缶蹴り、陣取り、メンコなどなど。力いっぱい遊んで、薪で沸かした五右衛門風呂。踏み板沈めて入るのだが子どもの体重では旨く沈めず、悪戦苦闘。冷え切った布団には、ブリキのゆたんぽ。一日の疲れと、こころの奥まで暖めてくれたような気がする。そんなことを思いながっら制作したゆたんぽ。ぽかぽかしたあたたかさを感じて貰えるとうれしい。次の書体は「アングラ」手描き風に創ろうと思う。来春目指して。

2013.07.23

新書体「そよ風+なみ風」

今年は例年より梅雨明けも随分早かったし、7月に入ってから連日猛暑日続きだったが、このところ少し気温も下がって来た。異常な雨も多い。どうやら戻り梅雨のようだ。
朝散歩はじめてから2年半が経った。この時期は暑くて陽が昇ってからではとてもじゃないが歩けない。怠けずに続けたいので早朝散歩に切り替える。3.4時間早いスタートにする。いつも寝るのが遅いので、2.3時間寝て、1時間半ぐらい歩いて、シャワーして、朝方再び寝ることになる。この生活パターンに夏場は切り替える。それにしても年々気温は上昇している。温暖化対策も重要な社会問題だな。50年前、私が小さい頃は、まだエアコンも、冷蔵庫も、水道も、テレビもなかった。その頃はこんなに暑くはなかった。夏場の一番暑い時で、多分30°ぐらいだったのだろう。小学生の夏休みは、蝉採りしたり、カブトムシ採ったり、毎日海で泳いでた。おやつなんてものはなかったな。適当に魚捕ったり、サザエ捕ったりして岩場で焼いて食べたり。今思えば鮮度のいい捕れたての贅沢な食べ物だ。海に行って帰りは、店先でかき氷食べて家に帰って、井戸水で冷やしたスイカを食べて、縁側でぐったりと寝ていた。夕方にもなれば涼しい風がとても心地よかった。冬場は、親父に早朝の釣りにイヤというほど連れて行かれたな。釣り場に向かう岩場、天然芝、強い風、波の音。しっかり焼き付いている。そんな自然の風、さわやかな風、やさしい風、大きな風、空気、波の音などの自然を背景に「そよ風」「なみ風」を制作した。心地よい風を感じもらえるとうれしい。次は「ゆたんぽ」という書体を制作しようと思っている。寒くなる前には仕上げたいな。しばらくしたら、ハーフマラソンぐらいの気持ちで取りかかろう。

2013.03.03

新書体「あかり」

70年代、拓郎の青春の詩を聴いていた頃は、同じように、歌いたい歌だけを歌っていた、メッセージ色が強い、シンガーソングライターがいっぱいいた。個性的な生き方、個性的な音は、私の青春時代の大きな背景だ。時代と共に影をひそめてしまったフォーク時代。音楽では喰えなくなった歌い手は、喰うための仕事をやってきたようだ。だか音が好きなミュージシャンは活動できなかった時期も、音楽と共に生きていたように思う。そして子どもが手を放れ、自分の時間ができるうようになったら、また歌う。いい生き方だな。やり続けることの素晴らしさをいつも教えてくれる。先日、アシッドフォークの野澤享司さんのライブにでかけた。アシッドフォークとはよくは知らないが、サウンドや声の響きを重視した音楽らしい。社会的なメーセージより、鳥のさえずり、小川のせせらぎ、森のざわめきのような自然が浮かぶような音楽。野澤享司さんはアコスティックギター1本で、複数の音を同時の楽しませてくれるアコギの名手だ。どこが遠くに行ったような夢心地な気分にさせてくれる。いつもステキな音をありがとう。文字の世界もそんな背景が伝えられれば。と、いつも思う。もう十数年前になるか、秋田の友人と行った温泉、「鶴の湯」。雪国の偉大な風景と私の知らない遠い昔を満喫させてくれたような、とっても感動したことを思い出す。八ヶ岳縦走した時の山小屋。布団か湿気ってたなあ。上高地の空気、乗鞍でのキャンプなどなど。そんなことを思いながら制作した書体「あかり」。裸電球だったり、ぽつんと照らしてくれる街灯だったり、山小屋のランプだったり、どこか懐かしく、心地よいあたたかさを感じるような書体と思って制作した。どのような灯りを照らしてくれるかが、また楽しみ。次は「そよ風」心地よい風を目指して夏頃には。

2013.01.01

あけまして おめでとう ございます。

ことしもいっぱい
いいことありますように。
お祈りいたします

さいくさやすし。

2012.11.23

新書体「バンカラ」

少し前と言っても、もう3ヶ月前になるか。時の経つのは早いもの。親戚のおじさんが亡くなって、別府に行った。もうかれこれ6.7年ぶり。いつぞやの亀の井旅館を思い出す。久しぶりの別府はのどかで、古びた温泉も実によかった。この日は深夜までいとこと飲み明かし、翌日は北九州の行橋に向かった。時間が少しあったので街を歩いてみた。街の様子は一変。自分が住んでた寮も、右も左もわからない。すっかり変わってしまっていたのにはびっくり。当時行ってたラーメン屋さんもすごく大きくなってきれいになってたが、当時を思い出し、一杯いただく。すっかり忘れかけてた、北九州の味、行橋の三徳ラーメン、旨かったな。その後18歳の頃勤めた会社の先輩と36.7年ぶりの再会。当時随分お世話になった人だから、ずっと会わなければと思っていたのでいい機会だった。いい酒だった。深夜まで懐かしい話で盛り上がり、結局、またご馳走になってしまった。申し訳ない。もう一人会いたい同期だった友がいたのだけど、突然の連絡で会えずじまい。少しばかり心残り。お互い年は取ったが、気持ちは全然変わらない。いい時間を過ごせた。翌日は田舎に帰るために、博多へ。東京で随分飲み明かした帰郷した友人、7年ぶりだったか。昼間から一杯。そして壱岐行きの船の時間までつきあってくれた。壱岐に帰るのも7年ぶりだったか。壱岐では急遽中学の同級生が集まってくれてプチ同窓会。中学から会ってない人、高校から会ってない人。かれこれ36.7年、40年は過ぎている。ここでも懐かしい人たちに会え、いい時間が過ごせた。お土産に干物を頂く。小中高の同級生、小楠彰人氏。37年ぶりだった。ありがと。次は還暦同窓会と言ってた。行かなければ。
時は流れても、姿カタチは違えども変わらないものが気持ちの中にある。とてもうれしいことだ。私の記憶にない時代にも、貧しかった時代も、人のあたたかさで元気をもらって生きてきたんだな。と思う。古き良き時代、かっこよくないかっこよさ、遊び心。そんなことを感じながら制作した「バンカラ」。またどんな表情を見せてくれるだろうか。次の書体は「あかり」。裸電球みたいなあたたかさをイメージして。来春目指して。

2012.06.25

新書体「ハイカラ」

音楽CDを整理してiTunesに取り込んで、このごろはiTunesを聴きながらのフォント制作が続く。少し前まではステレオで聴いていたが.入れ替える面倒な手間もなくなった。仕事しなから聴く程度だから音量もいらない。聴くのは70年代が中心だが、十数年前に買った、レコード盤1969年の復刻盤の早川義夫さんのCDを見つけた。72年頃、サルビアの花と言う歌を「もとまろ」という女子大生3人のグループが、カバーして有名になった曲で、その後もいろんな人がカバーしている名作だ。1969年に出したアルバムと早川義夫さんの名前は知っていたが、当時まだ中学生だった私には、聴く機会がなかった。少しずつその頃聴けなかった曲を聴いていきたいな。なんて思っている。そして気づかなかったメーセージにも出会えたらうれしい。72年頃には音楽の仕事を離れて、書店をやっていたようだ。23年間の音楽活動休止していたが十数年前に再び活動をはじめた。早川義夫さんの生の声が聴きたくて、先日渋谷のgeegeというライブハウスに出かけた。突き刺すような狂気な歌声と繊細なメッセージ、とドスの利いたピアノ。こころに響くというより、こころの奥底まで突き刺されような感じだ。ライブで言っていたが、14歳の時にはじめてライブに父親に連れられて行ったのが音楽をはじめたきっかけだったそうだ。父親の影響は大だな。「父さんへの手紙」って歌の中にある「~あれから僕は歌っています。このフレーズはこのことだろうな。もっとうち解けて笑い合いたかったとか。のフレーズにも語り合えなかった父への想いなど相通ずるものを感じてしまう。そんなメッセージを伝える人が才能がないから、72年頃やめてしまったと言っていたが、そんなことはありえないと私は思う。ただその時代に受け入れる器がなっただけで、聴けば聴くほど、彼の全身からメーセージが強烈に伝わってくる。いいアーティストだなあ。楽屋前で「サルビアの花」歌ってもらえますか?少し話ができた。笑ってプログロラムがあるからなあ~。と言ってたが、この歌は最後に、ライブを一緒にやってた、辻香織さんとハミングブラザーズの2人のカバーで終わってしまった。やっぱり重たさが違う。原曲の早川節が聞きたかったな~。少し残念。そんな音を聴きながら、制作した書体「ハイカラ」。昭和を感じるような書体で、その頃流行ってたもの、感じたもの、生きてきた人たちがまた力強く生きるようなイメージを持って仕上げた。懐かしいような、古くさいような感じもあるが、また新たな表情を感じてもらえるとうれしい。次はバンカラ。今年中には創りあげたい。

2012.02.26

新書体「金七」

10周年を迎えたFONT1000、展。昨年10月東京、11月名古屋。そして今年2月大阪での展覧会が終了、初日は、味岡伸太郎さん、祖父江槇さんと私とのトークショーもハプニングもあったが無事終了。残すはソウルで5月が決まってるようだ。大阪展の2次会で、たまたま私の隣に座っていた福岡から来てくれた、坂井さん。いろいろ話してたら、なんと福岡は行橋市の出身で、驚き。行橋といえば、私が社会人1年生で安川電機行橋工場のあるところ。そこの長江寮から人生の一歩を踏み出したところだ。その寮から200メートルぐらいのところが実家だそうだ。小さい頃、よく近辺で寮のお兄ちゃんに遊んでもらってたという。もしかしたら、私もいたのかもしれないね、なんて話しながら、なつかしく、楽しい話ができた。そして今は同じようなデザインの仕事をしている。不思議なご縁だ。行橋は寮の同部屋だった先輩もまだ行橋工場にいるし、仲良しだった同期の桜もまだ勤めてる。翌日書家の堀内湖洲さんと会食をした。ご馳走にもなりました。本もいただきました。楽しい文字の話もできました。ありがとうございます。私のこのページを読んでくれてたらしく、実は義兄は安川電機でロボットをつくってたと名刺まで見せてくれた。偶然が重なり何か不思議な感じだった。ご無沙汰のお世話になった先輩たちに会ってこい!ということだろうか。かれこれ36.7年。街の様子も変わったようだ。よく連れて行ってもらったお店はまだあるのだろうか?随分実家にも帰ってないが、一度訪ねてみないといけないな。
その頃制作をはじめた「金七」ができあがった。隷書体のような楷書体ような、筆使いを残した書体だが、和風にならないようにカジュアルに仕上げた。組見本はイソップの中から、アレンジした。欲張ることもなければ、人は進歩しないのかもしれないが、欲張るのはほどほどにして、今、自分が持っている物で満足しないと、今持っている物も失う事になる。どこかに謙虚さを持ってお世話になった人に感謝して、身丈相応に生きなければ、と思わせてくれる。次の書体は「ハイカラ」。昭和初期のレタリングみたいな雰囲気をもった書体。私風にできればと思っている。


堀内湖洲さんからいただいた、実用字典。文字の教科書みたいな本です。
古典への飽くなき追求。古筆研究 墨裳会主催。

2012.01.01

あけましておめでとうございます.

昨年は震災で大変な年でもありました。
いろんなこともありました。
またいっぱい元気をもらった年でもありました。
ありがとうございました。
今年はみなさまにとっていい1年でありますようお祈りいたします。

今年もいっぱい
よろしくお願いします。

さいくさやすし。

2011.11.02

新書体「楽描」

3月から、朝歩きを再開。渋谷東にいた頃は、毎朝四谷から50分かけて事務所まで歩いていた。ここ数年、引きこもり状態で文字創りにほとんどの時間を使っていた。お酒の量はかなり減ったが、気がつけばあまり動かなかったこともあり、かなり太ってしまった。その代わりデザインシグナル版のフォント販売をはじめて3年がたったが、それなりの評価をいただいたようにも思う。町で見かける、本で見かける、広告で見かける、TVで見かけるようになってきた。制作者としてとてもうれしいいことだ。朝1時間歩いてる間にいろんな考え事をする。見かける文字はいつも自分だったらどう描くか。次回はこんな感じの文字とか、ネーミングを考えたり、過去を振り返ったり、街ゆく人を眺めたり、自然の造形を見たり。と毎日いい時間だと思っている。お陰で体重も戻ってきた。最近友人の父が63歳で亡くなった。60代は早すぎる。私の親父も61歳で亡くなった。だんだんとそんな歳に近づいて来てるんだな。「ご自愛ください」とか社交辞令的に感じてた言葉も最近言葉の意味がわかる歳になったのかもしれない。と実感。少し体にも気をつけて。まだまだやりたいこともあるし、くたばる訳にはいかない。気持ちに少し余裕がでてきたように思うので、ご無沙汰の人たちと会ったり、飲んだり、楽しい時間を過ごせればと思う。
そんなことを思いながら、制作した「楽描」。今を描いた文字。文字制作の背景には、いろんなことがある。いろいろ感じながら、その時を残せればいいな。なんて思っている。またどこかで手離れした文字たちが元気でいてくれればまたうれしい。今年も後2か月となってしまった。次回書体は「金七」。崩した楷書と隷書を加味しなから、金冬心の書を感じさせるような文字になればと思ってる。来春向けてまた楽しく描こう。

2011.7.18

新書体「マンボ,ルンバ」

社会人になったのが75年。はじめての職は、北九州を本社とする安川電機って知る人ぞ知る、重電メーカーの会社。経理部に配属だった。今では誰も想像もつかないと思うが、現場からあがってくる山のような伝票を、そろばんで計算する。何度やっても、数字があわない。一円でも合わなければ何度も何度もやり直す。支店からあがってくるアウトプットされた数字を転記して、帳票をつくったり、売上、販収計画を立てたり、そんな仕事をしていた。朝、夜食事付きの寮生活。初任給は6万円台。社員番号75103。今でもしっかり記憶している。寮費は数千円と格安。給料控除されるから、一ヶ月、給料はもたなかったが、福利厚生がしっかりしてた会社だから、昼は社員食堂もあり、うどん、そばが5.60円。ランチが100円程度。昼の食券さえ買っておけば、お金がなくても生活ができた。仕事はちっとも面白いとは思わなかったが、今思うと面白さがわからなかったのかも知れない。仕事以外は楽しかった。何より寮生活は面白かった。年が近いのもあり、夜中まで先輩の部屋に集まり、酒盛りしたり、電気コンロでつまみを焼いたり、たまには取り組み合いの喧嘩したりする奴もいてね。職場が違った人たちとの交流もよかった。休みにはキャンプ、夏は海、山に連れて行ってもらったり、よくお酒もご馳走になった。体育館では毎週のようにバドミントンしたり、陸上部のマラソンの応援にいったり、夏祭りがあったりとか、とにかく、イベントが好きな会社だった。私が入社した頃はオイルショックの時期だから、私の後輩は何年経っても入ってこない。いつも下っ端。でもみんなよくしてくれて、とってもいい会社だった。今でも数人の先輩たちと同期の人たちの交流はある。私の人生はここで教えられたようなものだ。当時社交ダンス、フォークダンスそしてディスコブームだった。年に一度寮でダンスパーティがあった。世話役がコーチで仕事終わってから、その日に向けて、ダンスの練習。当日の食堂はミラーボールが取り付けられ、食べ物、飲み物が用意され、浴場は、カクテルバーに早変わり。この日ばかりは、外部の人たちも自由に出入りができた。同級生を呼ぶ人や、彼女を呼ぶ人、社宅の人たち、会社の偉いさんやで大にぎわいだったな。そんなことを思い思いながら、マンボ、ルンバの制作にかかった。やさしい楽しさを感じさせるような、リズミカルな動きを持たせた書体でポップでありながら、あまり強くない動きをと思って制作した。ウキウキするような気持ちを感じていただけるとうれしいな。今年ももう7月半ば。あっという間に過ぎてしまった。次回は秋冬頃に楽描(らくがき)という書体を創ろうとか思っている。しばらくしたら、また歩きださねば。


当時のチケットが古いアルバムから出てきた。デザインをまだ知らない私がつくったもの。
第13回と記してあるから、1963.4年頃から続いてたんだな。今もやってたらすごいな。

2011.02.22

新書体「歩明朝」

最近よく耳にする訳あり商品。テレビ通販でおなじみの蟹、最近毎日のようにメールが入る。ほんとに安いのだろうか?足がもぎ取れたため正価の半分ぐらいの価格で、ということだが?明太子も同じ。形が少し崩れた切り子、ネット上ではいかにもおいしそうに見えるが。明太子と言えばやっぱり博多だけど、最近の明太子は一般に食べやすく余り辛いのは見当たらない。1昔、いや3昔ぐらい前かな、まだ博多でしか手に入らなかった頃は、とんがらしが利いたものしかなく、これで何杯もご飯が食べれるって、おみやげに買ってきたものだが。復刻版と言うモノをあるので食して見たがやっぱりどこか違うような気がする。いつぞやTVでやってた割れ煎餅。商品にならない割れたものを袋に詰めお得商品として売ってたようだが、割れたものはしょうゆの染み込みがよく、おいしいということで人気商品になってしまったようだ。割れた煎餅だけでは間に合わなく、いまでは完成品を割る工程があるらしい。わざわざきれいにできたものを壊すってこと。余計なコストもかかっている。不思議な現象だが。割れ煎餅をつくるラインがあるってことだ。割れたものではなく、あえて割ってる商品だ。ひとつの「割れ煎餅」と言うブランドだ。新しいブランドは壊すこと=DESIGNするとからはじまるのかもしれない。そんなことをふと感じてしまった。
もう2月も終わりになってきた。昨年から取りかかった歩明(あゆみん)ができあかった。明朝体の服を着せたデザイン書体。今あるベーシックな明朝を壊すつもりはさらさらないが、よそ行きではなく、普段着を着た明朝体をと思い創って見た。気軽に、楽しく使ってもらえるとうれしい。ベーシックな明朝体も活字のような、ハネハライガ効いた完成度の高い書体を目にするようになってきた。いつかは挑戦してはみたいとは思うが、まだまだやりたいデザイン書体があるので手が出せない。ってことで次回は「マンボ、ルンバ」って書体を創ってみようと思っている。夏前には完成目指して。

2011.01.01

あけまして おめでとう ございます。

昨年はいっぱい
ありがとうございます。
今年もいっぱい
よろしくお願いします。

制作中の書体、あゆみん「歩明」を2月頃の予定で制作しています。
でき次第、販売開始します。
重ねてまた1年、今年もよろしくどうぞ。

さいくさやすし。

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