紙、筆、素材。天気、空気、湿度、温度。道具も素材も、その時々で微妙に変化している。墨の濃さ薄さで、描きたい線が出せなかったり、描き込んでも描き込んでも描けなっかたり。大事なことはそれに気分だ。人は時としてやっかいなもので、楽しい時、うれしい時、悲しい時、辛い時など、誰しも精神面での動きは必ずあるはず。気分によって描ける、描けない。その時の気持ちが形がつくる。その時のこころにあるものを表現してみる。うまく描けるかどうかはさておき、こころを描く、わたしのこころギャラリー。気分で描いていきます。






2017.1.1
あけまして おめでとう ございます。
昨年はいっぱい

ありがとう

ございます。

今年もいっぱい

よろしく

お願いします。さいくさやすし。

2016.08.22
新書体「コリダンス」

リオ五輪も今日で無事終わり。治安が悪いと言うことで、心配でもあったが、大きな事件もなく良かった。元気と感動をもらった17日間だった。日頃あまりTVは見ないが、数年分楽しめた感じだ。水泳、柔道、卓球、陸上、テニス、バドミントン、バレー、サッカー、ラグビー、レスリング等々。くやし涙の人もうれし涙の人も、いっぱいドラマがありきたことの
背景もすごいな。感動。なんとなくでは五輪にはでれない。出れるからにはいいメダルがほしいのは当然なんだろうけど。男子400mリレーの銀。水泳のメダルダッシュ。卓球、男女ともメダル。錦織圭選手の銅メダル。一昔前までは、日本人は全くメダルに届かなかった種目も立派な成績を残したことは、個の能力に投資できるようになってきたのかも知れない。私の小さい頃は、国、算、社、理の平均点で、学校の成績が決まる。体育、音楽、美術なんてなものはいくら出来ても評価に値しない。そんな時代からすれば、個々の能力を活かす教育は必要だな。一番つまらない試合は、柔道男子の100キロ超級のリネール×原沢選手の試合だった。一度も組み合うことがなく、さも、指導の差で金を逃した。柔道なのに、点を稼いで逃げ切る。そういう駆け引きはダメだな。審判のレベルも、選手の卑怯さも見えてくる。これが絶対王者か?つまらん。柔道ファンとしてはいただけない。正々堂々と畳の上で組み合ってほしいものだ。そんな中、文字づくりには集中できなかった17日間。いっぱい感動をもらったし、いろんなことを感じる事が出来たな。やっとこさ、コリダンス完成。淡水魚でナマズ系の魚で、底面でチョロチョロ泳ぐコリドラスのダンスからネーミングにした。人で言えば赤ん坊のような、チャップリンような?。動物で言えば、生まれたばかりのわんこような?。愛嬌があって、動きに癒される。そんなイメージで制作。次書体はストロング。来年の早い時期に。




2016.04.15
新書体「青空」

早いのもので、今年還暦。こんなに歳をとるとは思ってなかった。高校時代の還暦式と同窓会が秋にある。卒業してから一度も会ってない人たちとは42年ぶりになるのか。楽しみだな。当時の思い出と言えば、やっぱりフォーク仲間だな。拓郎、揚水、泉谷、かぐや姫、NSP …、まだまだたくさんのシンガーソングライターがいたな。最近またアコギで歌う若者も多くなってきたな。当時歌ってた人たちも再活動をしている。とてもうれしいことだな。大きい会場もいいが、最近は小さなライブがとても気にいっている。
私も当時あこがれていたD45を手に入れて、ひとりギターを楽しんでいるが一向にうまくならない。ボケ防止ってことで、まあいいか。
小室等、吉田拓郎、井上陽水、泉谷しげるによって75年に設立された、フォーライフレコード。5人目のフォーライフとして、76年に吉田拓郎プロデュース「風になりたい」でデビューした川村ゆうこ。ずっとあこがれの人であり、ファンだった。長い間休業していたが、再活動してることを知り、2008年渋谷のランタンというライブハウスで再会した。といっても当時はアルバムの中の人。5月の中旬、吉田拓郎の10年前のつま恋のメンバーと吉祥寺でライブが行われる。とても楽しみだ。
気持ちいい風。優しさ。青空。自然。動き。軽やか。リズム。そんな気持ちで「青空」。
そんなこんなで当時の思い出の中から、川村ゆうこさんのファーストアルバムの中の、元気をもらったお気に入りの歌、「こんなに空が青くては」から、文字組見本を使わせていただいた。ゆうこさん、ありがとさん。ジャケットのグリーンに気持ちよさそうに転がる姿もステキだ。ちなみのロケ地は代々木公園だそうだ。次書体は「コリダンス」。秋頃かな。また一年が早いぞ。








2015.11.01
新書体「まごころ3兄弟」

先日40年ぶりに、古い友人と会うことができた。年に一度の年賀状で40年。毎年毎年、会わなきゃと思いつつ40年も経ってしまった。同じ会社勤めの同期の桜だ。職場は違ってたが寮も同じで、よく遊んだ3バカの一人だ。よく食堂で会社を辞める話をしてたが、私だけが辞めてしまって、2人ともずっと勤めていてる。定年まで残り1年。大したものだ。昼間から渋谷で一杯やりながら、昔ばなしに花が咲く。忘れかけてた事や、当時は気づかなかった事、全く違う人生を送った事や、話は尽きない。懐かしい話、1975年当時の自分たちを眺めているようでもあった。40年経っても、見かけはお互い随分変わったが、中身は当時と同じまま。成長が止まった親父だ。
うれしかったな。良い酒が飲めた。もう一人の友人は今は同じ勤務地らしい。ってことで、今度3人+同期の仲間と九州で。と言うことであっという間の時間だった。楽しみだな。
今年のはじめから、とりかかった「まごころ」ができあがった。知人の45周年のライブで感動をもらったり、古い友との再会でやさしさをもらったり、といろんな事を感じながら制作した書体。頑張らすぎず、自然体で。ことばの背景にある優しさみたいなものを感じて貰えるとうれしい。次書体は来年春頃、「青空」。








2015.1.1
あけまして おめでとう ございます。
昨年はいっぱい

ありがとう

ございます。

今年もいっぱい

よろしく

お願いします。さいくさやすし。








2014.12.25
新書体「タイプ7」

今年も残すとこ後少し。毎年、年末になると、1年が早かったなぁ。って思ってしまう。日に日に時間が短くなってきてるようにも感じる。後何年、生きられるんだろうと思う歳になってきた。まだまだくたばる訳にはいかないが。
今年は名優の、高倉健さんと菅原文太さんが亡くなった。とても寂しいことだ。
高倉健さんの「網走番外地」は毎年、私の田舎の夏祭りの歌謡大会で、ねじりはちまきの漁師が必ず歌う歌で、小学生だった私もすっかり、覚えてしまった。厳つい男たちもあこがれた、日本で一番かっこいい男だったな。私が20歳の頃に見た、「黄色ハンカチ」の最後のシーンは何度見てもいいな。菅原文太さんは、「トラック野郎」だな。長距離トラックの運転手が化粧したデコトラで自慢げに走り回った。みんなあこがれたんだな一番星。亡くなる直前の、沖縄知事選挙の演説は最高によかった。一つの時代が終わってしまった。時代はどんどん変わって行くんだな。。。
食べるものも変わり、着るもの変わり、聴く音も変わり、住んでいるところも変わり、少しずつではあるが、自分自身も変わってはいる筈だが、いろんなことを経験し、自分のここちよさが、絞られてきたようにも思う。そんなことを思いながら制作した「タイプ7」ができあがった。ヒッピースタイル、ラッパズボン、IVY。トラッド。自分流ということで「タイプ7]という名前にした。正装とまでいかないが、少しい小綺麗にジャケットとジーンズ、白いシャツ姿のカジュアルトラッドと言う感じかな。私と同じクリスマス生まれ。良い表情を見せてくれるとうれしいのだが。
来年はずっと手をいれたいと思っていた10数年前に制作したこころ書体。その頃の気分と全く違うので、新たな気持ちで、新スタイル「まごころ」として、制作する予定。長丁場になりそうだが、来年秋、冬頃には完成させたいと思う。








2014.8.25
新書体「アングラ」

今年の初め、ミュージシャンでもあり音楽プロデューサーの佐久間正英さんがガンでなくなった。61歳だった。佐久間さんはGLAY、BOOWY BLUE HEARTS、エレファントカシマシなどなどあらゆるタイプのバンドをプロデュースされた方で、その道での達人だ。プロデュースするバンドの中で、このバンドには何が足りないか?今あるバンドの個性を最大限に引き出すため、足りない部分を補うということをするらしい。たとえばギターの音が足りなければ、ピックの弦に当て方まで細かく指導するするらしい。佐久間式ピッキングというらしい。リズムも1/1000まで聴きわけるそうだ。いい音を創るという一点を追い求めてきたアーティストだ。毎日1曲創ってたらしく、亡くなる直前まで、レコーディングしてたそうだ。すごい方だと改めて思う。運良くNHKの特番も見ることができた。元伝説のバンド、ジャックスのリーダーでもあり、ヴォーカルでもある早川義夫さんの(今はソロで活動されている)ライブで、何度か聴くことができた。ジャックスは60年代、GS、ロック、フォークの時代に、サイケデリック・ロック言うらしいが、型にははまらない、オリジナルだけを追求していこう活動していたバンドで、かなりメーセージ性の強いバンドで、当時としては、かなり異様で、期待されつつもわずが2.3年で解散してしまった。その早川さんの「風月堂」という歌の中に、新宿風月堂を歌った歌がある。(今ある洋菓子の風月堂とは無関係)1946〜1973年まで営業してたようだが、戦後の新宿を代表する著名な喫茶店があったようだ。作家や芸術家のタマゴが集まる芸術喫茶。寺山修司、三國蓮太郎、ビートたけし、岡本太郎。安藤忠雄、五木寛之…出入りしてたようだか、今では蒼々たる顔ぶれだが、当時はまだまだ無名で、「詩人とか絵描きとかだれも名を知らない、…そんな空気は今はない。」と歌われている。佐久間さんも早川さんにあこがれて、最初に会った場所がこの新宿風月堂らしい。目指す方向は違っても、何かを求めていた若者が集まって来るようなところだったようだ。この時代に生まれていれば、一度は行って見たかったと思う。私の青春時代は、フォーク時代で、やっぱり、私自身はさわやかなカレッジフォークより、手作り感覚がある、アナログ的でメッセージ性の強いのものが心に響いたし、今でも好きなようだ。アングラフォークがいい。そんなことを思いながら、そんな音を聴きながら、制作した「アングラ」。枠にはまらない、型にはまらない書体を目指した。アナログ作業からはじめたが、思ったよりも随分と時間がかかってしまった。やっとこさ、完成。ほっと一息。後回しにしてきた、グラフィックの仕事を片づけて、少し休んで、次の書体にかかろうと思う。次は「TYPE 7」来春めざして。









2013.12.15
新書体「ゆたんぽ」

早いもので今年も後半月。毎年毎年、この時期になると1年があっという間に過ぎていってしまったように思う。当然、日に日に体も寿命も老いて行くんだな。若い頃は歳をとるなんて思ってなかったが、美しく老いて生きたいものだ。団塊世代がもう高齢者の仲間になり、総人口の4人に1人が高齢者になってしまったようだ。やだやだ。40年ぐらい前のそんな人たちのフォークソングが私の青春でもあったし、貧しかった時代でも、夢を追ってた人たちがいっぱいの時代でもあったな。音楽活動では食えないがために休止してた人たちが、今度は楽しみながらの活動をしている。ちょくちょくライブに出かけて楽しませてもらっている。私が小学生の低学年の頃は、雪も降ったし、寒かった。まだまだ暖房器具といえば、火鉢で、途中から、練炭火鉢に変わって、4方を囲んで暖をとった。部屋の密閉度も良くなかったから、すきま風が。お陰で一酸化素炭素中毒はあまりなかったようだ。テレビも白黒。子どもの遊びと言えば、チャンバラ、たこ揚げ、独楽回し、石蹴り、缶蹴り、陣取り、メンコなどなど。力いっぱい遊んで、薪で沸かした五右衛門風呂。踏み板沈めて入るのだが子どもの体重では旨く沈めず、悪戦苦闘。冷え切った布団には、ブリキのゆたんぽ。一日の疲れと、こころの奥まで暖めてくれたような気がする。そんなことを思いながっら制作したゆたんぽ。ぽかぽかしたあたたかさを感じて貰えるとうれしい。次の書体は「アングラ」手描き風に創ろうと思う。来春目指して。










2013.7.23
新書体「そよ風+なみ風」

今年は例年より梅雨明けも随分早かったし、7月に入ってから連日猛暑日続きだったが、このところ少し気温も下がって来た。異常な雨も多い。どうやら戻り梅雨のようだ

朝散歩はじめてから2年半が経った。この時期は暑くて陽が昇ってからではとてもじゃないが歩けない。怠けずに続けたいので早朝散歩に切り替える。3.4時間早いスタートにする。いつも寝るのが遅いので、2.3時間寝て、1時間半ぐらい歩いて、シャワーして、朝方再び寝ることになる。この生活パターンに夏場は切り替える。それにしても年々気温は上昇している。温暖化対策も重要な社会問題だな。50年前、私が小さい頃は、まだエアコンも、冷蔵庫も、水道も、テレビもなかった。その頃はこんなに暑くはなかった。夏場の一番暑い時で、多分30°ぐらいだったのだろう。小学生の夏休みは、蝉採りしたり、カブトムシ採ったり、毎日海で泳いでた。おやつなんてものはなかったな。適当に魚捕ったり、サザエ捕ったりして岩場で焼いて食べたり。今思えば鮮度のいい捕れたての贅沢な食べ物だ。海に行って帰りは、店先でかき氷食べて家に帰って、井戸水で冷やしたスイカを食べて、縁側でぐったりと寝ていた。夕方にもなれば涼しい風がとても心地よかった。冬場は、親父に早朝の釣りにイヤというほど連れて行かれたな。釣り場に向かう岩場、天然芝、強い風、波の音。しっかり焼き付いている。そんな自然の風、さわやかな風、やさしい風、大きな風、空気、波の音などの自然を背景に「そよ風」「なみ風」を制作した。心地よい風を感じもらえるとうれしい。次は「ゆたんぽ」という書体を制作しようと思っている。寒くなる前には仕上げたいな。しばらくしたら、ハーフマラソンぐらいの気持ちで取りかかろう。











2013.3.3
新書体「あかり」.

70年代、拓郎の青春の詩を聴いていた頃は、同じように、歌いたい歌だけを歌っていた、メッセージ色が強い、シンガーソングライターがいっぱいいた。個性的な生き方、個性的な音は、私の青春時代の大きな背景だ。時代と共に影をひそめてしまったフォーク時代。音楽では喰えなくなった歌い手は、喰うための仕事をやってきたようだ。だか音が好きなミュージシャンは活動できなかった時期も、音楽と共に生きていたように思う。そして子どもが手を放れ、自分の時間ができるうようになったら、また歌う。いい生き方だな。やり続けることの素晴らしさをいつも教えてくれる。先日、アシッドフォークの野澤享司さんのライブにでかけた。アシッドフォークとはよくは知らないが、サウンドや声の響きを重視した音楽らしい。社会的なメーセージより、鳥のさえずり、小川のせせらぎ、森のざわめきのような自然が浮かぶような音楽。野澤享司さんはアコスティックギター1本で、複数の音を同時の楽しませてくれるアコギの名手だ。どこが遠くに行ったような夢心地な気分にさせてくれる。いつもステキな音をありがとう。文字の世界もそんな背景が伝えられれば。と、いつも思う。もう十数年前になるか、秋田の友人と行った温泉、「鶴の湯」。雪国の偉大な風景と私の知らない遠い昔を満喫させてくれたような、とっても感動したことを思い出す。八ヶ岳縦走した時の山小屋。布団か湿気ってたなあ。上高地の空気、乗鞍でのキャンプなどなど。そんなことを思いながら制作した書体「あかり」。裸電球だったり、ぽつんと照らしてくれる街灯だったり、山小屋のランプだったり、どこか懐かしく、心地よいあたたかさを感じるような書体と思って制作した。どのような灯りを照らしてくれるかが、また楽しみ。次は「そよ風」心地よい風を目指して夏頃には。








2013.1.1
あけましておめでとうございます。

ことしも

いっぱい

いいこと

あります

ように。

お祈り

いたします。

さいくさやすし。







2012.11.23
新書体「バンカラ」.

少し前と言っても、もう3ヶ月前になるか。時の経つのは早いもの。親戚のおじさんが亡くなって、別府に行った。もうかれこれ6.7年ぶり。いつぞやの亀の井旅館を思い出す。久しぶりの別府はのどかで、古びた温泉も実によかった。この日は深夜までいとこと飲み明かし、翌日は北九州の行橋に向かった。時間が少しあったので街を歩いてみた。街の様子は一変。自分が住んでた寮も、右も左もわからない。すっかり変わってしまっていたのにはびっくり。当時行ってたラーメン屋さんもすごく大きくなってきれいになってたが、当時を思い出し、一杯いただく。すっかり忘れかけてた、北九州の味、行橋の三徳ラーメン、旨かったな。その後18歳の頃勤めた会社の先輩と36.7年ぶりの再会。当時随分お世話になった人だから、ずっと会わなければと思っていたのでいい機会だった。いい酒だった。深夜まで懐かしい話で盛り上がり、結局、またご馳走になってしまった。申し訳ない。もう一人会いたい同期だった友がいたのだけど、突然の連絡で会えずじまい。少しばかり心残り。お互い年は取ったが、気持ちは全然変わらない。いい時間を過ごせた。翌日は田舎に帰るために、博多へ。東京で随分飲み明かした帰郷した友人、7年ぶりだったか。昼間から一杯。そして壱岐行きの船の時間までつきあってくれた。壱岐に帰るのも7年ぶりだったか。壱岐では急遽中学の同級生が集まってくれてプチ同窓会。中学から会ってない人、高校から会ってない人。かれこれ36.7年、40年は過ぎている。ここでも懐かしい人たちに会え、いい時間が過ごせた。お土産に干物を頂く。小中高の同級生、小楠彰人氏。37年ぶりだった。ありがと。次は還暦同窓会と言ってた。行かなければ。
時は流れても、姿カタチは違えども変わらないものが気持ちの中にある。とてもうれしいことだ。私の記憶にない時代にも、貧しかった時代も、人のあたたかさで元気をもらって生きてきたんだな。と思う。古き良き時代、かっこよくないかっこよさ、遊び心。そんなことを感じながら制作した「バンカラ」。またどんな表情を見せてくれるだろうか。次の書体は「あかり」。裸電球みたいなあたたかさをイメージして。来春目指して。




2012.6.25
新書体「ハイカラ」.

音楽CDを整理して
iTunesに取り込んで、このごろはiTunesを聴きながらのフォント制作が続く。少し前まではステレオで聴いていたが.入れ替える面倒な手間もなくなった。仕事しなから聴く程度だから音量もいらない。聴くのは70年代が中心だが、十数年前に買った、レコード盤1969年の復刻盤の早川義夫さんのCDを見つけた。72年頃、サルビアの花と言う歌を「もとまろ」という女子大生3人のグループが、カバーして有名になった曲で、その後もいろんな人がカバーしている名作だ。1969年に出したアルバムと早川義夫さんの名前は知っていたが、当時まだ中学生だった私には、聴く機会がなかった。少しずつその頃聴けなかった曲を聴いていきたいな。なんて思っている。そして気づかなかったメーセージにも出会えたらうれしい。72年頃には音楽の仕事を離れて、書店をやっていたようだ。23年間の音楽活動休止していたが十数年前に再び活動をはじめた。早川義夫さんの生の声が聴きたくて、先日渋谷のgeegeというライブハウスに出かけた。突き刺すような狂気な歌声と繊細なメッセージ、とドスの利いたピアノ。こころに響くというより、こころの奥底まで突き刺されような感じだ。ライブで言っていたが、14歳の時にはじめてライブに父親に連れられて行ったのが音楽をはじめたきっかけだったそうだ。父親の影響は大だな。「父さんへの手紙」って歌の中にある「〜あれから僕は歌っています。このフレーズはこのことだろうな。もっとうち解けて笑い合いたかったとか。のフレーズにも語り合えなかった父への想いなど相通ずるものを感じてしまう。そんなメッセージを伝える人が才能がないから、72年頃やめてしまったと言っていたが、そんなことはありえないと私は思う。ただその時代に受け入れる器がなっただけで、聴けば聴くほど、彼の全身からメーセージが強烈に伝わってくる。いいアーティストだなあ。楽屋前で「サルビアの花」歌ってもらえますか?少し話ができた。笑ってプログロラムがあるからなあ〜。と言ってたが、この歌は最後に、ライブを一緒にやってた、辻香織さんとハミングブラザーズの2人のカバーで終わってしまった。やっぱり重たさが違う。原曲の早川節が聞きたかったな〜。少し残念。そんな音を聴きながら、制作した書体「ハイカラ」。昭和を感じるような書体で、その頃流行ってたもの、感じたもの、生きてきた人たちがまた力強く生きるようなイメージを持って仕上げた。懐かしいような、古くさいような感じもあるが、また新たな表情を感じてもらえるとうれしい。次はバンカラ。今年中には創りあげたい。







2012.2.26
新書体「金七」.

10周年を迎えたFONT1000、展。昨年10月東京、11月名古屋。そして今年2月大阪での展覧会が終了、初日は、味岡伸太郎さん、祖父江槇さんと私とのトークショーもハプニングもあったが無事終了。残すはソウルで5月が決まってるようだ。大阪展の2次会で、たまたま私の隣に座っていた福岡から来てくれた、坂井さん。いろいろ話してたら、なんと福岡は行橋市の出身で、驚き。行橋といえば、私が社会人1年生で安川電機行橋工場のあるところ。そこの長江寮から人生の一歩を踏み出したところだ。その寮から200メートルぐらいのところが実家だそうだ。小さい頃、よく近辺で寮のお兄ちゃんに遊んでもらってたという。もしかしたら、私もいたのかもしれないね、なんて話しながら、なつかしく、楽しい話ができた。そして今は同じようなデザインの仕事をしている。不思議なご縁だ。行橋は寮の同部屋だった先輩もまだ行橋工場にいるし、仲良しだった同期の桜もまだ勤めてる。翌日書家の堀内湖洲さんと会食をした。ご馳走にもなりました。本もいただきました。楽しい文字の話もできました。ありがとうございます。私のこのページを読んでくれてたらしく、実は義兄は安川電機でロボットをつくってたと名刺まで見せてくれた。偶然が重なり何か不思議な感じだった。ご無沙汰のお世話になった先輩たちに会ってこい!ということだろうか。かれこれ36.7年。街の様子も変わったようだ。よく連れて行ってもらったお店はまだあるのだろうか?随分実家にも帰ってないが、一度訪ねてみないといけないな。
その頃制作をはじめた「金七」ができあがった。隷書体のような楷書体ような、筆使いを残した書体だが、和風にならないようにカジュアルに仕上げた。組見本はイソップの中から、アレンジした。欲張ることもなければ、人は進歩しないのかもしれないが、欲張るのはほどほどにして、今、自分が持っている物で満足しないと、今持っている物も失う事になる。どこかに謙虚さを持ってお世話になった人に感謝して、身丈相応に生きなければ、と思わせてくれる。次の書体は「ハイカラ」。昭和初期のレタリングみたいな雰囲気をもった書体。私風にできればと思っている。
堀内湖洲さんからいただいた、実用字典。
文字の教科書みたいな本です。

古典への飽くなき追求。
古筆研究 墨裳会主催。








2012.1.1
あけましておめでとうございます.

昨年は震災で大変な年でもありました。
いろんなこともありました。
またいっぱい元気をもらった年でもありました。
ありがとうございました。
今年はみなさまにとっていい1年でありますよう
お祈りいたします。

今年もいっぱい

よろしく

お願いします。

さいくさやすし。









2011.11.02
新書体「楽描」.

3月から、朝歩きを再開。渋谷東にいた頃は、毎朝四谷から50分かけて事務所まで歩いていた。ここ数年、引きこもり状態で文字創りにほとんどの時間を使っていた。お酒の量はかなり減ったが、気がつけばあまり動かなかったこともあり、かなり太ってしまった。その代わりデザインシグナル版のフォント販売をはじめて3年がたったが、それなりの評価をいただいたようにも思う。町で見かける、本で見かける、広告で見かける、TVで見かけるようになってきた。制作者としてとてもうれしいいことだ。朝1時間歩いてる間にいろんな考え事をする。見かける文字はいつも自分だったらどう描くか。次回はこんな感じの文字とか、ネーミングを考えたり、過去を振り返ったり、街ゆく人を眺めたり、自然の造形を見たり。と毎日いい時間だと思っている。お陰で体重も戻ってきた。最近友人の父が63歳で亡くなった。60代は早すぎる。私の親父も61歳で亡くなった。だんだんとそんな歳に近づいて来てるんだな。「ご自愛ください」とか社交辞令的に感じてた言葉も最近言葉の意味がわかる歳になったのかもしれない。と実感。少し体にも気をつけて。まだまだやりたいこともあるし、くたばる訳にはいかない。気持ちに少し余裕がでてきたように思うので、ご無沙汰の人たちと会ったり、飲んだり、楽しい時間を過ごせればと思う。
そんなことを思いながら、制作した「楽描」。今を描いた文字。文字制作の背景には、いろんなことがある。いろいろ感じながら、その時を残せればいいな。なんて思っている。またどこかで手離れした文字たちが元気でいてくれればまたうれしい。今年も後2か月となってしまった。次回書体は「金七」。崩した楷書と隷書を加味しなから、金冬心の書を感じさせるような文字になればと思ってる。来春向けてまた楽しく描こう。











2011.7.18
新書体「マンボ,ルンバ」.

社会人になったのが75年。はじめての
職は、北九州を本社とする安川電機って知る人ぞ知る、重電メーカーの会社。経理部に配属だった。今では誰も想像もつかないと思うが、現場からあがってくる山のような伝票を、そろばんで計算する。何度やっても、数字があわない。一円でも合わなければ何度も何度もやり直す。支店からあがってくるアウトプットされた数字を転記して、帳票をつくったり、売上、販収計画を立てたり、そんな仕事をしていた。朝、夜食事付きの寮生活。初任給は6万円台。社員番号75103。今でもしっかり記憶している。寮費は数千円と格安。給料控除されるから、一ヶ月、給料はもたなかったが、福利厚生がしっかりしてた会社だから、昼は社員食堂もあり、うどん、そばが5.60円。ランチが100円程度。昼の食券さえ買っておけば、お金がなくても生活ができた。仕事はちっとも面白いとは思わなかったが、今思うと面白さがわからなかったのかも知れない。仕事以外は楽しかった。何より寮生活は面白かった。年が近いのもあり、夜中まで先輩の部屋に集まり、酒盛りしたり、電気コンロでつまみを焼いたり、たまには取り組み合いの喧嘩したりする奴もいてね。職場が違った人たちとの交流もよかった。休みにはキャンプ、夏は海、山に連れて行ってもらったり、よくお酒もご馳走になった。体育館では毎週のようにバドミントンしたり、陸上部のマラソンの応援にいったり、夏祭りがあったりとか、とにかく、イベントが好きな会社だった。私が入社した頃はオイルショックの時期だから、私の後輩は何年経っても入ってこない。いつも下っ端。でもみんなよくしてくれて、とってもいい会社だった。今でも数人の先輩たちと同期の人たちの交流はある。私の人生はここで教えられたようなものだ。当時社交ダンス、フォークダンスそしてディスコブームだった。年に一度寮でダンスパーティがあった。世話役がコーチで仕事終わってから、その日に向けて、ダンスの練習。当日の食堂はミラーボールが取り付けられ、食べ物、飲み物が用意され、浴場は、カクテルバーに早変わり。この日ばかりは、外部の人たちも自由に出入りができた。同級生を呼ぶ人や、彼女を呼ぶ人、社宅の人たち、会社の偉いさんやで大にぎわいだったな。そんなことを思い思いながら、マンボ、ルンバの制作にかかった。やさしい楽しさを感じさせるような、リズミカルな動きを持たせた書体でポップでありながら、あまり強くない動きをと思って制作した。ウキウキするような気持ちを感じていただけるとうれしいな。今年ももう7月半ば。あっという間に過ぎてしまった。次回は秋冬頃に楽描(らくがき)という書体を創ろうとか思っている。しばらくしたら、また歩きださねば。

当時のチケットが古いアルバムから出てきた。デザインをまだ知らない私がつくったもの。第13回と記してあるから、1963.4年頃から続いてたんだな。今もやってたらすごいな。





2011.2.22
新書体「歩明朝」.

最近よく耳にする訳あり商品
。テレビ通販でおなじみの蟹、最近毎日のようにメールが入る。ほんとに安いのだろうか?足がもぎ取れたため正価の半分ぐらいの価格で、ということだが?明太子も同じ。形が少し崩れた切り子、ネット上ではいかにもおいしそうに見えるが。明太子と言えばやっぱり博多だけど、最近の明太子は一般に食べやすく余り辛いのは見当たらない。1昔、いや3昔ぐらい前かな、まだ博多でしか手に入らなかった頃は、とんがらしが利いたものしかなく、これで何杯もご飯が食べれるって、おみやげに買ってきたものだが。復刻版と言うモノをあるので食して見たがやっぱりどこか違うような気がする。いつぞやTVでやってた割れ煎餅。商品にならない割れたものを袋に詰めお得商品として売ってたようだが、割れたものはしょうゆの染み込みがよく、おいしいということで人気商品になってしまったようだ。割れた煎餅だけでは間に合わなく、いまでは完成品を割る工程があるらしい。わざわざきれいにできたものを壊すってこと。余計なコストもかかっている。不思議な現象だが。割れ煎餅をつくるラインがあるってことだ。割れたものではなく、あえて割ってる商品だ。ひとつの「割れ煎餅」と言うブランドだ。新しいブランドは壊すこと=DESIGNするとからはじまるのかもしれない。そんなことをふと感じてしまった。
もう2月も終わりになってきた。昨年から取りかかった歩明(あゆみん)ができあかった。明朝体の服を着せたデザイン書体。今あるベーシックな明朝を壊すつもりはさらさらないが、よそ行きではなく、普段着を着た明朝体をと思い創って見た。気軽に、楽しく使ってもらえるとうれしい。ベーシックな明朝体も活字のような、ハネハライガ効いた完成度の高い書体を目にするようになってきた。いつかは挑戦してはみたいとは思うが、
まだまだやりたいデザイン書体があるので手が出せない。ってことで次回は「マンボ、ルンバ」って書体を創ってみようと思っている。夏前には完成目指して。







2011.1.1
あけましておめでとうございます.

昨年もいっぱい

ありがとう
ございます。

今年もいっぱい

よろしく

お願いします。

制作中の書体、あゆみん「歩明」を
2月頃の予定で制作しています。
でき次第、販売開始します。
重ねてまた1年、今年もよろしくどうぞ。
さいくさやすし。














2010.11.1
新書体「きりぎりす」.

今年の夏はとにかく暑かった。やっと、秋らしくなっきたと思えば、一気に冬になってしまったようだ。ここ2.3日はあったかいが。異常気象か、海水が高い日が続き、3年ものの牡蠣が全滅状態だと、嘆いてた牡蠣会社。野菜も高騰。屋久島は台風続きで、またクマの被害も。どこかでリズムがくるえばそれにより被害も出てくるようだな。人間も同じように思う。尖閣諸島、北方領土。ねじれにねじれた国会といい話は少ないが、そんな中、水島ヒロのポプラ社の小説大賞は凄いことだな。余り詳しくは知らないが、あの若さでしっかりしたポリシーをもって生きている。賞金はこれからの人材育成に使って欲しい。となかなかかっこよかとばい。彼自身の心に決めた生き方を見せてくれたようだ。当然才能はあるのだろうが、努力無しではありえない。立派だな。
もう今年も残すとこ2ヶ月をきってしまった。年々早く感じる一日一日。頑張って生きてる人のうれしいニュースを聞くと何だかこちらまでうれしくなってくる。自分は自分なりに自分のスタイルでこれからも生きていこうと感じさせてくれる。今年最後の書体になるが「きりぎりす」ができた。F1000版のキリギリスを制作して3年、おかげさまで人気もののようだ。だがもすこし文字数があるとさらに使いやすくなるだろう。と思って拡張。印象はほとんど変わらないと思うが、全文字手を入れることになった。どんな書体を創ってもそれなりに手がかかる。苦しんで創ると表情が文字に出てしまう。苦しむ前に楽しまなきゃといつも思って制作するようにこころがける。次の書体は歩く明朝、「あゆみん」。ウオークシリーズと少し歩き方を変えてみようと思っている。来年2月予定で。また歩いていく。






2010.9.24
新書体「筆七七」.

今年の夏はとにかく暑かった。やっと秋らしくなってきた。そんな中7月に斉藤哲夫さんと野澤享司さんのライブに行って来た。野澤さんの生ギターはとにかくよかった。奏法は知らないが、コードを上から押さえ弾き、同時にリード、ストローク、またパーカッションのようにギター叩いて音を出す。1人で3役ぐらいの音をギター一本で聴かせてくれた。目をつぶって聴いていると、3.4人ぐらいで演奏してるような。引き込まれるような不思議な気分だった。テクニックにも感動したし、ギター1本にこだわる生き方、自然と対話しながら、音を出す。人柄が伝わってくるような。そんな感じがした。ギターよかったですね〜。と少しお話させてもたったら、ギターだけ?と気さくに言われたので歌ももちろんよかったですよ。と.斉藤哲夫さんと30数年の友人だそうだ。なんかいいな〜。と思ってしまった。
斉藤哲夫さんは何度かお酒の席もご一緒させてもらったこともあるし、カラオケも酔っぱらって行ったことがある。毎回ライブの案内は直筆でいただくのでありがたく思っている。私にすれば18歳の頃、はじめて歌本で見たあこがれの人でもある。80年代には糸井重里さんが作詞した、「ピカピカ。」いまの君はピカピカに光って〜。宮崎美子さんのミノルタのCMソングを歌った人っと言えば知ってる人はかなりいると思う。以前飲んだ時より少し痩せてたので、やせたね。と言ったらミュージシャンは太ったら駄目でしょ。もうすぐ還暦だから、年を取ればやせるんだよ。なんて言ってたけど。元気そうだったのでひとまず安心。子離れしたし、少しずつ活動を再開してるようだ。まだまだ素敵な歌をいっぱい歌って欲しいものだ。その頃制作中だった「筆七七」下町の威勢のいい、ねじりはちまきのオヤジさん、強面だけれどこころはやさしい、頑固だけど実はシャイだったり、神輿を担ぐ時は人が変わる。そんなイメージをもっていた。丁度斉藤哲夫さんの下町を題材にした「さんま焼けたか」がぴったりじゃないかと思ってしまった。ので組見本は歌詞を拝借。今度のライブの時にでも事後報告ということで。ご勘弁を。今年も残り3ヶ月となってしまった。まだまだ創りたい書体はあるが、次の書体は「キリギリス」をDS版に拡張する予定。発売から3年も経てば、印象は変わらないと思うが、すべてに手を入れることになりそう。









2010.7.5
新書体「ダダ」.

もう梅雨に入ってるが、今年はあまり降らないのか?まだまだこれから降るのか?でも九州南部では土砂崩れ、豪雨の災害も出てるようだ。W杯は楽しみに見てたけど、ベスト8を惜しくも逃したパラグアイ戦。延長後のPK負け。仕方ないな。こればかりは。よく戦ったし、楽しませてくれた。つい最近、MACがとんでひどい目にあってしまった。バックアップは常にとっておかないと大変なことはわかってるが、ついついこれが終わったらにしようと思っていたが、突然とくる。文字作りは長い時間かかるので、ショックは大きい。だが仕掛かり文字のほとんどが救出できてよかった。そんなこともあって立ち往生もありながら、少し予定より遅れて「ダダ」が完成。やんちゃ、駄々っ子、ダダイズム。強さもほしいが重くない書体と思って制作した。大胆に、使ってもらえるとうれしいな。どこかで跳び回り、走り回ってることを楽しみにしている。次の書体は丸い文字も創って見たいと思ってるが、筆文字「筆七七」。習字を習ったのが丁度77年、七が2つということもあってネーミングは決めた。以前、「筆七」をつくったが、もっとボリューム感を持たせた書体にしようと思ってる。今年ももう半分が過ぎてしまった。早いものだ。まだまだつくらなきゃ。次は秋頃の予定。





2010.4.10
新書体「ありんこ」.

桜はもうすっかり開花したが、もう4月というのに、あったかかったり、寒かったり。変な天気が続く。おかげで野菜が高い。キャベツもレタスも1玉300円ぐらいと3倍近い。寒波の被害を受けた梅は2割程度しが収穫がないようだ。そろそろ梅酒の時期なのに。
早いもので今年も1/3が終わろうとしている。
一月に出した「照和70」、好調のようだ。いつも買ってくれる人、使ってくれる人がいて、うれしい限り。感謝感謝。ありがとうございます。
春から夏にかけてせっせせっせと食べ物を集め冬支度をする「ありんこ」ができた。さて今年の冬はあったく過ごせるか?。Font1000版で3年前に出した「キリギリス」も人気者のようだ。キリギリスを創ったのでありさんも創らないと完結しないな。なんて思って制作に取りかかった。いずれキリギリスも拡張してありんことセット販売できればと思っているのだが。
もともとどちらかというと私はキリギリスの性分のようだが文字づくりばかりは、ありさんにならないとつくれない。毎日せっせせっせとありさんの気持ち。
この書体は手書きのイメージを出すために、筆のはいりの部分とトメの部分に筆圧を残して抑えた。ちょこちょこ歩くイメージで仮名は少し小さめにし、動きをつけてみた。またどんな表情を見せてくれるかが楽しみ。次の書体のラフスケッチは頭の中。ネーミングは決めた。「ダダ」。駄々っ子、やんちゃ。わがまま、暴れん坊、強弱、インパクト、ストロング、ダイナマイト、ダダイズム。そんなことを思いながら、可読性もよりアート性の強いものを創りたいと思っているが。どれだけ気持ちよく大胆にハズせるかが勝負になりそう。また夏目指して、ありさんにならなくちゃ。





2010.1.22
新春新書体「照和70」.

コンビニなんてなかった頃、10円玉をにぎりしめて行った駄菓子屋さん。今じゃお祭か下町でしか見かけることはでないが、とってもなつかしい。ジュースと言えば粉末ジュース。はじめて飲んだ瓶ジュースは、「コカコーラ」と「ファンタ」。コーラが35円、なぜだかファンタが30円。遠足のおやつは50円まで。と決まっていた。バナナが1本30円もした。まだまだ高級な食べ物で、一般庶民には手が届かない存在だった。小学生の頃の思い出である。多分「ミツヤサイダー」はそれ以前にあったように思うが、大人の飲み物だったように思う。中学生の頃、はじめて食べた、カップ麺、日清の「カップヌードル」。この即席麺は感動ものだった。ちなみに今も好きだがノーマルのものとカレー風味はとってもいい。発売当初ヌードルという言葉がヌードと似ていることから、「ヌ」の文字が小さく表示されていたことを後で知った。
テレビはまだまだオヤジの持ち物、チャンネル権は子どもにはない。その後、手にしたトランジスタラヂオ。夏休みにともなれば、蝉採り、カブトムシ採りと海に行くのが毎日の日課。ラジオから流れてきたカルメンマキの「時には母のない子のように」。とっても寂しげで、切なくて、子ども心に強くこころを打たれことを思い出す。家ではオヤジの好きな、古賀メロディの「湯の町エレジー」。「酒は涙かため息か」。をよく聴かされたというか、よくオヤジがギターを弾いて歌っていた。その頃歌謡曲が最盛期で「ブルーライトヨコハマ」、「よこはまたそがれ」がよく流れてたように思う。今よく再放送の番組があるが、うれしいことだ。とっても懐かしい。中学生の終わりの頃から、「旅の宿」「結婚しようよ」がよくかかっていた。フォークソングとの出会いである。先日亡くなった、加藤和彦さんはそれ以前、小学校の頃よく流れていたが、フォークソングとは思ってなかったように思う。「おらは死んじまっただー」と楽しい歌だったな。常に最先端を行ってたアーティストだった。とっても残念。その前にはキヨシロー、河島英五、高田渡、天野滋、浅川マキ。私の青春時代、歌の背景にいっぱいの思い出があるだけに、時代を創った人たちの死は悲しい。
オヤジはカーラジオから流れる「結婚しようよ」聴いて、不思議そうにしていたことを思い出す。オヤジの時代はやっぱり演歌、歌謡曲で、歌がうまいことが歌手であったように思うが。そしてその後、陽水の「東へ西へ」と出会う。オヤジが持っていたガットギターにスチール弦を張りかえて、ガチャガチャ、コードをやっていた。バイトで貯めたお金でフォークギターを手に入れて、高校生の頃友人宅で、夜遅くまで騒いていたな。最近は余り里帰りしてないが、その友とは帰省の時は必ずむかしばなしで一杯やる。
まだまだレコードも買えない時代。友人はプレイヤーを持っていたから、しっかり録音してくれた。陽水の歌詞カードの文字がとても気になっていて、カセットテープにも陽水のマネをして書いてた。その頃は文字を書くことを職にするなんて微塵も思ってなかったら不思議だ。その時代にうまく歌うことより、いかに伝えるかと言うことを教えられたようにも思う。そしてそう言う気持ちでまた新しい書体に取りかかろう。次の書体は「ありんこ」。今春完成目指して。

2010.1.1
あけましておめでとう2010.

年末の忘年会続きのせいか、歳をとったせいか、数十年ぶりに、体調を壊してしまった。無理がきかない歳になってきたのか。今までにない体の重さと腹痛続き。お正月というのに元旦早々熱いお茶で過ごす。情けない。無理はしていないつもりだが、体は正直なようだ。昨年は原因不明の10円ハゲも経験した。完治まで3ヶ月もかかった。これもはじめての経験だ。酒の量は最盛期に比べ1/10ぐらいになっているが、体を全く動かしてないことで体力もすっかり落ちてきたんだろう。今年は適度に運動もしなくてはいけないな。まだまだやりたいこともいっぱいあるし、創らなきゃいけない文字もある。ようやく生涯の目標とする半分の文字をつくることができた。まだまだくたばる訳にはいかない。気合いを入れてまた一年、文字づくりに没頭したいと思う。今年もまた一年、よろしくどうぞ。さいくさやすし。







2009.11.5
「新書体一支國」。

あっと言う間に、春が去り、夏が終わり、もう町の街路樹もすっかり色づいてきた。そろそろ紅葉も終わりだ。今年も残すとこ2ヶ月を切ってしまった。一年はあっという間に過ぎていく。何かの番組で同年齢のタレントが言ってたが、若いときは知らないことや、覚えることもいっぱいあるし、興味があることも多すぎて、長く感じるんだろう。今はいろんなことを年と共に吸収してきたから、これも知ってる、あれも知ってるで、すぐ過ぎてしまうと言ってた。確かにそうかも知れない。若い頃の一年は長かったな〜。
この一年も文字づくりにほとんど時間を使ってしまった。春に「ステージ1」夏には「トゥモロースキップ、ドリーム、、フラミング」を制作することができた。書体の本も書くことができた。そして最新の「一支國」ができあがった。ハライは楷書のように、ハネあげは、六朝体、隷書のように、筆の腹で押し上げるように力強く跳ね上げ、筆の動き持たせた書体。古くささの中に、少し新しさを感じてもらえばうれしいのだが。デザインシグナルセレクト版として、ダウンロード販売をはじめて一年がたった。少しずつではあるが、順調に伸びて来たように思う。使ってもらえることに感謝です。最近随分、フォントのダウンロード販売のサイトも立ち上がってきた。いくつかお誘いいただいて、サイトに提供しているが、やっぱり、ゲームとか無料ダウンロードが多いサイトでは売れない。タダのモノを捜しに来ているサイトでは、いくらアクセス数を誇っても有料の商品は売れない。まして1万円を超すモノは到底無理だ。客層が違うんだな。このあたりも考げて、よくよくは整理していかなくてはと思う。使用されたモノを見て、また買ってくれた人たちに励まされ、また次の書体に取りかかっていく。送り出したいくつもの分身たちに会えるのを楽しみにして。しばらく雑用をすませたら、来春向けて取りかかろう。次の書体は「照和70」70年代を意識して。







2009.7.15
「書体を読む」ができました。2009.7.21発刊。

昨年末、ソシム社の野上勇人さんから本を出しませんか。と声をかけていただいて、進めてきた書体の本。7月発行ということで、ずいぶん先の話と思って、年内はほとんど手をつけず、新年から文字描きしながら、どんな内容にしようかと思いつつ、1月が過ぎた。2月に入って、とりあえずページ構成をし、うっすらイメージができあがった。それからなかなか制作に入れない。一日中、文字描きのカラダになってしまっていて、どうも集中できない。あっという間に2月も終わってしまった。7月発行となると、4月にはほぼ内容ができていないと、と、少し焦りはあったが、リズムがつかめない。まだ自分の中に余裕があったのかも知れない。デザイナーは少し切羽詰まらないとエンジンがかからない。そんなものだな。書体づくりを夜だけに回して、日中は本の時間と決める。そうしていても本になると一日で集中できる時間は少ない。文字づくりは10時間ぐらいはぶっ通しでやれるのにな。本に2.3日集中して2.3日は文字の時間に切り替える。そうして、章ごとの内容ができたことで、一気に乗れてきた。レイアウトをしながら文も書く。全体が見えてきたことで3月後半からはかなり集中できた。5月末完全データ入稿。そして校正に時間を取ってひと休み。7月に入って色校。そうして無事、予定通り発刊することができた。協力いただいた方々に感謝。もー今年も7月中旬。あったいう間に過ぎさってしまった。この一年もあっという間に終わりそうだな。一段落ついたことで、遅れ気味の文字描きに集中しなきゃ。






2009.3.29
もう早、3月も終わり。

久々の更新になってしまった。あっという間に3月も終わってしまった。昨年から取りかかったステージ1がやっと手離れする。いつものことながら出来上がりは、やっぱりうれしい。少し大人で、若い頃流行ったトラッドぽいイメージを持っていた。「IVY」「VAN」「アメトラ」「REGAL」「ボタンダウン」「コインローファー」チノパンでなくコッパン。どことなく、小綺麗であるが、頑張り過ぎない格好っていうか、そんなイメージで制作した。毎回のことながら、文字づくりは終わりがない。創った端から気に入らないところが、追いかけてくる。どこかで終わりにしないと次に進めない。100点は一生かかっても無理だから、ある程度自分の中での合格点をつけないといけない。そしてまた分身を送り出して、使ってくれる人たちに評価をいただいて、また新しい文字に取りかかる。次の書体は、左手の法則「フレミング」いや「フラミング」フラフラ+明朝+ハミング。フライ+明朝+グー。ってとこかな。出来上がる頃は秋頃かな。またコツコツ、新しい気分でスタートしよう。







2009.1.1
あけました2009。

ほとんどの時間を文字創りに費やした一年。トゥモローウォーク、ユーミンウォーク、バースディ19.21。そしてフォント1000版の流七。デザインシグナル版の販売も夏からはじめることができた。今年も時間が許す限り書体制作に時間を費やして行こう思う2009。それにしても世の中少しは良くなるかと期待した2008年。景気も少しづつ回復しつつあるように思えたが、後半とんでもない世の中になっちまった。人を物のように切り捨て、日比谷公園で年末年始をおくった人々。まさかこんな事態になろうとは想像もしてなかっただろう。立派に見える会社も今は人より金が大事で会社は株主の為にあって、支えて人たちはどうでもよくなってしまったのか?悲しい世の中だ。お国の対策も今ひとつ動きが鈍い。どーするんだ。という人たちの悲しい叫びが聞こえてくる。今年もまだまだ厳しい状況が続きそうだが、夢を持って頑張って生きていくしかない。自分をもって生きていけば、きっとステキな時が来るのだとおもう。信念をもって新しい一年を。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくどうぞ。






2008.11.25
バースディ19、バースディ21。

二十歳になれば大人と思っていた19歳。二十歳を過ぎて1年。結局何にも変わらない。30ぐらいの人を見るとしっかりした大人に見えた3昔。自分が30になっても、40なっても、50になっても変わらない。変わったことと言えば、シワは増えたし、白髪も出てきた、体型も変わった。でも内面はちっとも変わらない。70まで生きたとしたら、35が丁度折り返し地点。この頃が一番の大人かもしれないなんて。成長は35で止まってしまったのか。折り返しからまた子供に向かってるんじゃないか。そんなことをふと思った。としたら今の私は19歳。どんどん子供に向かってく。そんなものかも知れないな。特に男は。一生子供でいたいんだな。好きなことに夢中になって。わずらわしいことには関わらず。
そんなことを思いつつ、バースディ書体の制作に取りかかって半年。子供のような、高校生のような、誕生日おめでとうと言われても、うれしいのだけど照れくさく、頭ぼりぼりかいてるような、そんなイメージを持っていた。やっと完成。毎日のコツコツがカタチになった時はいつもうれしい。そしてみんなに使っていただいて、呼吸をはじめる。手離れして分身を送り出し、いろんな媒体で再会出来ることが制作者としての一番の楽しみ。後ネット販売先に書類、データを納めれば終わり。まだまだ制作したいものはいっぱいあるが、そう簡単に出来ないからな。少し軽軽が続いたから、次回は少し私の大人を描いて見ようと思う。ネーミングは決めた。「ステージ」。いつもラフな格好でいるが、背広とネクタイまではいかないが、ジャケット姿ぐらいの少し小綺麗な感じになれば、と思ってる。また来夏に向けてスタート。








2008.11.22.23
第2回たきびの会、山梨・水口 Regreen Base。

たきびの会第2回は先月に続き、リグリーンベース。2時集合出発。晴天できれいな富士山がはっきりと見えた。さすが富士だ。やっぱり山の上に頭を出した富士は偉大だ。前回のようについてさっそくほうとうをいただく。うまかった。食事後、温泉。夜景が見える温泉でゆっくり。温泉に入ってきれいな夜景、最高だな。後、たきびの準備と食事の準備に取りかかる。こだわりの北海道出身の杉氏が取り寄せたジンギスカン。何種類も味を確かめて買ってきたジンギスカンらしい。ブロックで買ったものだから、堂々の厚きり。臭みもないし、それにタレも甘からず辛からず、最高。それに名前は知っていたが、食したことのないジャガイモ「インカの目覚め」。自然の甘みがいい。うまいじゃがいもだ。味付けするよりそのままの方が素材のよさが出て私は好きだな。それにチーズ燻製、スープ、お店の人の差し入れの豚汁。と、おいしいものを食べながら、ワイン。あっという間のいい一日だった。2時過ぎに三階の部屋で寝袋でおやすみ。夜はかなり冷えた。寒かったな。2日目はみんな早起きして朝温泉。前回と同じく「ほったらかし温泉」いい天気だったからこれもまた温泉から堂々の富士山か見える。ああ〜ついてた。最高。朝食はこだわりの渡氏がドングリを茹でて潰して乾燥させてパウダー状にした、ドングリ粉入りホットケーキ。んん。うまかった。バナナを焼いて入れたり、リンゴを焼いて入れたり、バリエーションも楽しめた。この会は料理作る人も、味にこだわり人もいるから私の出る幕なし。やったことと言えば、リンゴの皮むきとマシュマロを焼くための竹串つくりぐらいか。まあ。そんなとこさ。火を見てたわいもない話するのも、自然を食べるのもいいもんだ。次回は未定だが、年内にもう1回ぐらいやりたいと思う。ごちそうさま。

PHOTO:KISHIN SUGIYAMA








2008.10.17.18
第1回たきびの会、山梨・水口 Regreen Base。

今世の中よくないから、疲れてる人いっぱいいるね。犯罪も多いし、不正も多いし、他殺、自殺、暗い話ばっかりで。古きよき時代、貧乏でもこころは豊かだった昔が懐かしい。そんな話をお酒の席で友人としてた。火を見てるとこころが安らぐ。水の音、風の音、自然、ゆっくりとこころにやさしい時間。そんなことをしたいね。
で、はじまったたきびの会。記念するべき第一回は、リグリーンという古い養蚕農家の家屋を改造したギャラりー&コーヒーショッブ。格安でお願いして、野郎5人と+α。金曜日に二子玉出発。2時間ぐらいで現地到着。インター下りたら、さすが山梨。しっかりぶどう園がお出迎え。ゴルフ場計画予定だったところにある、ほったらかし温泉に直行。ゆっくりお湯を楽しみ、目的地リグリーンへ。さっそく、山梨名物、ほうとうをいただく。しっかりした極太麺はもちろん手打ち。うまっかった。少ししてたきびの準備。田んぼのはじっこを耕して、火をおこし、焼き肉、やまめ、鶏、シシカバブーとちょいっとオシャレ。アウトドアが好きな奴がいるから、料理はおまかせ。持ち込みの焼酎といただいた山梨ワインで乾杯。店主も参加。あっと言う間の時間だった。宿ではないが、2階で寝袋でみんなで雑魚寝。たまにはこんな宿泊もいいな。ここ何年もキャンプなんてしてないからな。翌日は早起き。朝風呂はいって買い出し。みそ汁にごはんと納豆。自然での食は旨いな。最高の贅沢や。ぶどう食べなかったな。残念。帰りは店主がやってる焼きのもの工房でピサとパスタで昼食。ゆったりした時間がおくれた。月1ぐらいで開催しよう。あまりお金をかけず、次回は11月後半になるだろう。次回も楽しみ。

新しいライフスタイルを提案するプロジェクト
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Regreen Base



2008.10.4.5
泉谷しげる還暦ライブ。

70年代。私が高校生の頃、しっかりフォークソングにはまってた時代。拓郎、陽水、泉谷しげるは、あこがれの人そのもの。高校生のはじめの頃は拓郎、陽水、をよく聴いていたが、3年生の頃になると、泉谷に熱中していた。泉谷しげるのこもった声と、鼻にぬける歌い方と、高音を張りあげる声と独特な泉谷節がたまらなく好きだった。黒い鞄、東西南北、春のからっ風、白雪姫の毒リンゴ、うられうられて、などなど。照れかくしの暴言もとってもよかった。当時、シンガーソングライターはテレビに出ないことがジンクスで、ラジオ一本でヒットをとばすことがステイタスだった。映像で見ることはほとんどなかった。ヤングギターという本と歌本の写真でしかお目にかかれない。だがしっかりメッセージを届けくれた。フォークの時代が去っていく頃に、泉谷は、悪役でテレビ出演。ジンクスを破ったのは泉谷だろう。これも泉谷らしくて好きだった。うれしかったな。泉谷が出る番国は飛びついて見ていた。あれから30年以上立っても彼が出る番組は楽しみにしている。言葉とうらはらの暖かさ。いいオヤジだな。
昨日、オールナイトで還暦ライブがZEPPU東京で行われた。5.6年前になるか、いやもっと前かな。新宿か四谷で聴くことができたが、その時以来の久々ライブだった。数ヶ月前から抽選予約していたが、運良く席は7列目のど真ん中だ。かなりステージに近く、飲みかけのボトルとギターピックと右手にしている指だし手袋が飛んできたがゲット出来ず。一列前の人にとられてしまいました。残念。懐かしき、オールナイトニッポンのテーマ曲で入場。このあたりの仕掛けも泉谷らしいな。一部は新曲を中心に、赤いTシャツ姿で。懐かしき、おー脳、野良犬、春のからっ風
.春夏秋冬、終わりを告げる、などなど20曲。2部は生ギター中心に大好きな白雪姫の毒リンゴ、寒い国から来た手紙、陽が沈むころ、になどなど20曲、涙が出るくらいうれしかった。3部は現場作業員のコスプレで、フォークロック中心に新曲、懐かしの黒い鞄、Dのロック、眠れない夜、国旗はためく下に、などなど。20曲、朝3時過ぎてたが、拳は挙げるわ、足は挙げるわ、ジャンプするわ、もうみんなノリノリ。当然来場者は40〜50代が大半を占めてたようだか、この日ばかりはみんな青春に戻ったようにも思う。アンコールに2曲、全62曲を歌いきった。休憩は2回あったものの、全身で歌い続けた泉谷は凄い。1500人もの人たちをしっかり楽しませてくれた。いつものように会場から「泉谷がんばれ」「しっかりせー」なんてヤジも飛ぶ。「うるせー!」「静かにしろ!」なんて泉谷らしさが返ってくる。みんなとの対話を楽しんでいる泉谷は、きっとこれから先も、もっと偉人になっても、同じ目線で対話するんだろう。かっこよかとばい。朝方、DVD、CDを買ってくれた人たちにはしっかりサイン会。かなり並んだがひとり一人サインして、話して、握手して。疲れきってたはずなのに。還暦とは無縁であるかのようにタフだし、何よりもこころがステキだ。世の中今は悪いから、元気でいられるようにみんなにパワーを贈ってるんだ。サイン会の後ちゃっかりフレームに収めてもらいました。恥ずかしいくらい満面の笑顔です。よかった〜。お疲れさんでした。








骨偏に豊かで旧字の体。メタボのお父さん、カルシュウム不足の子供たち、走らなきゃ。カレンダーの為に描いた「體」





2008.9.6
夏も終わり。

テレビにくぎずけのオリンピックも終わってしまった。北島康介の挫折からはい上がりの4年間、何も言えないことばの通り、何も言えない感動をいただいた。苦しい時期を乗り越えての2連覇、うれしさを言葉にできない程のうれしさだったんだ。あの言葉だけで彼の苦しかった背景が想像できる。柔道の内柴選手も同じだ。頂点を極めて目標を失っていた彼に、お父さんはチャンピオンなのになんで負けるの?子供の言葉が彼を奮い立たせた。ビニールハウスの手作りプールで寒い時期も目標に向かってひたすら泳ぎ続けた松田丈志選手。自分色のメダル。とってもいい言葉だった。陸上リレーで初の銅メダル。一度は引退を決意した朝原選手の陸上人生でサイコー瞬間だったろう。この4年間、ずっとこの日を目指してきた人たちに教えられることいっぱいで、何も言えない、感動をありがとう。



8月17日には江戸三大祭のひとつにも数えられている深川の富岡八幡の水かけ祭りの本祭りも行われた。この日は少し気温が低く、小雨が降るなか見学。さすがに寒そうにも思えた。50数基の神輿が繰りだされ行われた。水をかぶれば御利益あるかとおもい短パンで出動。でもかぶらなかった。残念。




十十文句を言うと文字は警察の「警」言うが取れれば尊敬の「敬」敬老の「敬」。この歳にならないと尊敬されないのかもね。カレンダーの為に描いた文字、「敬」。








2008.8.3
京成立石の立ち喰い寿司、栄寿司

世界フライ級チャンピオン内藤大助選手、3度目の防衛おめでとうございます。すっかり庶民的チャンピオンになった内藤選手。飾らない人柄が今じゃ、すっかり人気者。チャンピオンが住んでる葛飾区の京成立石駅にある立ち喰い寿司、栄寿司。飾らない下町の味を味わえるお寿司屋。新鮮で旨い。酢飯は赤酢を使ってるのかな?と思うが、まろやかで少し黒い。空気を包み込むように柔らかく握ってある。魚はどこの寿司屋でもあるようなネタから、変わり種もある。貝類も豊富。一貫100円〜300円と安いし旨い。前にも一度行ったことあるが、トコブシの握りはサイコーだね。海育ちの私の好物。つぶきももうまかった。ビールは小瓶のエビス。にくいね。いつも行列ができるようだがタイミングよく入れた。よく食べる人でも3000円ぐらいかな。私はビールも飲んで2500円程度。勘定も握りながら頭で計算。さっとすばやく。さすがだ。やっぱり安いな。うまいな。江戸っ子職人だね。また行かなくちゃ。
となりにあるモツ煮込み屋さんもかなり有名らしい。寿司の後行くつもりでいたが、さすがに食べれそうにないからやめた。次回の楽しみにしよう。下町はいいな。そうそう帰りの鶏の半身の丸揚げ買って帰った。なんて店だったか。かなりここも有名らしい。



もう8月になってしまった。木に寄りかかった人。人偏は元々男の人を表す。夏休みは男の休日かもしれないね。カレンダーの為に描いた「休」。




2008.7.24
トゥモローウォーク、ユーミンウォーク完成。販売開始。

修正作業をはじめて3ヶ月。気になる文字を修正し、フォントグラファに貼り込んで、フォントを生成する。何度生成したのだろうか。誤字をチェックし、ゆがみ、パスのはずれをイラストレータ上でチェックする。フォントグラファに再び貼り込み、フォント生成。何度何度も繰り返し作業。気になる部分が出てきたら、またやり直す。ああ〜疲れた。チェックと修正作業はちっとも面白くない。いくら修正しても、そんなに大きく表情が変わる分けないからな。でも販売する以上、ある程度自分が納得しないと終わらない。以外と手こずった。やっとこさ完成。ダウンロード販売先に納品する、エクセルデータとワード。ほとんど使ったことがないエクセルとワードでテキストをつくって、web用画像の整理。シリアル番号の生成。私じゃ無理なので、友人KW氏にお願いし、つくってもらった。おかげさまで、書類も問題なくクリア、やっと販売までこぎつけた。送り出した文字たち、どのような表樹を見せてくれるだろうか。楽しみ。手離れし、少しの達成感。でもゆっくりはできない。次の文字たちが待ってる。来春にかけてバースディ書体の制作。納期はないのだけど、生涯50書体。体力があるうちにどんどん走らなきゃ。


もう梅雨は明けたのかな。余り降らなかったように思うが。
来年のカレンダーの為に描いた文字、「雨」。





2008.3.22
遠藤賢司ライブ

確か1979年だったと思う。岐阜の椛の湖で行われた野外ライブ「いこまいか」。ともだち大勢で出かけた真夏の野外コンサート。高石ともやとナターシャーセブン、小室等、ムッシュかまやつ。杉田二郎。他にいっぱい出演者はいたが余り記憶にはない。とにかく暑くて、Tシャツ1枚で汗だくで最後は裸だったように思う。ビールの飲みながら、寝そべって聴いてたように思う。椛の湖をゆっくり走ろうって企画も行われていて、子供と一緒に走ってたマラソンの君原選手も来てたな。そこで目が覚めるような、山奥から機関銃のごとく音をステージにとばして、音とともにステージに近づいてくる人が遠藤賢司だった。私が知る遠藤賢司はシルクハット姿でロン毛「踊ろうよベイビー」って曲で時代を風靡した人だった。さっぱりと切ったテクノカット頭でそれはすごい。音も凄いが、完全に目が覚めるほどのパフォーマンス。あの時の記憶が脳裏に焼き付いている。それから28.9年。久々にライブにでかけた。還暦だと思うが、やっぱり凄い。あのパワーはどこから来るんだろう。ずっと自分の音楽を追究した結果なんだろうと、つくづく思う。永遠に不滅がよく似合う。いくつになっても自分を貫く姿はかっこいい。最近、森山直太郎と僕らの音楽って番組出演。そのせいもあるのか、わたしと同年代の人より若者が多い。アコースティックが若者に受けいれられてるのは確かだ。時代は回る。そんな事も思った。私の大好きな曲「踊ろうよベイビー」も「カレーライス」も歌ってくれた。うれしい。その後一杯いいお酒が飲めた。

2008.2.12
門前仲町。

最近の
お気に入りのスポット、深川の門前仲町。駅を出てすぐ、東京一大きい八幡神社、富岡八幡がある。江戸三大祭りの深川八幡祭は、水かけ祭りとも言われる、とても見応えのある祭りだ。今年は本祭りだそうだ。ぜひ行ってみたいもの。下町深川でここ最近おきに入りのお店がある。大衆酒場、魚三だ。午後4時開店。いつも行列、いつも満席。でもとにかく安い。旨い。新鮮。あら煮がなんと50円。刺身類が200円台〜500円程度。中トロでも600円台と、とにかく安い。600円台はこの店では高級品クラスだ。お酒好きで魚好きの人にはたまりませんね。元々魚屋さんだった店主が仕入れ先をフルに使って大量仕入れ。お客さんにたくさんおいしいものを食べてもらいたい。と言う江戸っ子の心意気。うれしいことに熱燗も一杯180円。破格の値段だ。先日食べたカンパチは580円がサービス値段で430円。ただでさえ安いのに、安く入れば量もプラスしているらしい。頭があがりません。だだ暗黙の中にもルールがある。店内はコの字型のカウンター2つ。50席ぐらいと思うが、その中にお店の人が各一人。席に座ったら飲み物の注文。飲み物の注文を聞いたら厨房に指示。さっささっと行ってしまう。魚の注文は近くに来たときタイミングをみはらかって注文。これがなかなかむずかしい。注文うけても余り返事は帰ってこないから聞こえてないものと思い繰り返すと、怒られる。 しっかり聞いてる。先日の若者が怒られてたな。そんなことは知らず入った店だが、通っているとわりと親切。しっかり覚えてくれてる様子。注文も頭で聞き、計算も暗算だ。すこしの時間も無駄をしないって考え方なんだろう。逆に言うとその分が価格に還元されてるんだと思う。この前となりの席のおじさんと話が弾み酒一杯ごちそうになりました。下町はよかと。


2008.2.2
懐かしのアルバム。昭和52年2月5日。

先日、食料を買い出しに近くのスーパーへ出かけた。有線から流れてきた「風になりたい」って曲だ。鹿児島県の屋久島出身の我那覇美奈さんがカバーしているようだ。ステキな歌声にしばし立ち止まって聴き入っていた。拓郎の作詞作曲で30数年前に、フォーライフレコード設立時に、フォーライフ第1号のシンガーソングライター、川村ゆうこに贈った歌のカバーだ。拓郎もアルバムの中では歌ってはいるが、川村ゆうこの歌った「風になりたい」はヒットはしなかったようだ。川村ゆうこのやるせない、せつなげな声がとても私は好きだった。拓郎の曲だが私の中では川村ゆうこの歌としての思い出がいっぱい。第2弾も期待してたけど、結局出なかったようだ。私が20歳の頃だ。親元を離れて2.年、不満はこれっと言ってなかったようにも思うが、当時勤務の北九州から名古屋に転勤の時期でもあった。知らない土地で慣れない環境での生活がはじまった頃だった。その頃寮生活の中でよく聴いたLPだ。当時の様子が懐かしく思い出されてきた。同期入社で長崎県の福江出身の堀川、いつも昼飯は社員食堂で一緒。当時彼が話していた高校生の彼女。結局めでたく彼女と結婚した。同じようにフォーク仲間だ。もー32.3年はあってないな。彼は今は小倉でまだまだ頑張っているようだ。年に一度の年賀状。いつかは会いたいな。同期の楢木。仲良しだったな。行橋でまだまだ頑張ってるようだ。門司の榊、元気かな?昼休み、バドミントン、よくやったな〜。八幡の達之輔、深夜までよく騒ぎ寮母に呼び出しうけたっけ。どうしてるだろう。音楽の背景に思い出の記憶はいっぱい。いいものだな。





2007.12.31
終。

あ〜。今年も終わってしまった。やりたいことは山ほどあるが、思ったようにできてないのかもしれない。この1年も相変わらず、世の不正と世のいい加減さが見えた年でもあったように思う。若かれし、習字を習った頃、先生が偽りって文字は人の為にと書く。と言ってたことを思い出す。書の教室に週に2時間習いに行った。1時間は先生の話と1時間は実践だ。気分が乗らなきゃ書かなくてもいいといつも言ってた。お話は戦争の話と戦友の話とお釈迦様の話とこころの話。習いに来てる人も話を聞くことが文字を書くより楽しそうだった。文字にこころをいれる。そんな教え方だったのかも知れない。文字の持つ意味を文字に表現する。そして人の気持ちも理解する。そんな事を教えてくれたように思う。人にやってあげることは、人の為ではなく自分の為じゃなくてはならない。人の為にやってあげることは偽り。そんな事を書を通して教えてくれた恩師。今年で85.6歳かな?年賀状だけの便りだけど、ずっと長生きして欲しいものだ。まだまだやんなきゃいけないことはいっぱいあるが、今年も何とか無事に生きてこれた。この一年に感謝。そして新年また目標に向かって。2007終。



2007.5.12
東海道ルネッサンス。

久しぶりの浅草。相変わらず休日ともなれば、雷門、仲見世は観光客でいっぱい。ぶらっと一回りし、気になってた赤提灯がいっぱいの店先で大釜で煮込んでいるモツ煮込屋さんへ。名前は忘れたがおいしそう。話によると40年間ずっと継ぎたしの汁で煮込んでるらしい。行ったのが11時頃。1時開店だったので断念。待てないので近所のモツ煮を食べて、その後神田祭りの御輿が通る東日本橋へ。少し見て次の地を目指す。歩いていると、5.6人の年輩のウォーキングに出会う。不思議なことに気持ちよさそうに風になびいている旗が私の方を見て微笑んでる。なんだ見覚えがあるぞ。と思ったら、20年近く前に描いた名古屋時代の私の筆文字ではないか。ひょんなところで再会。おじさんにお願いして写真を撮らせてもらった。まだアナログの頃だから切り張りして組んだ記憶が。ただの偶然なのか。何かを私に告げようとしてるのか。不思議だ。その数日後、この仕事を一緒にしたKから、久々の電話。PL用に筆文字かいてよ〜。だって。偶然なのか、必然なのか。不思議だ。5.15。



2007.4.28
信濃屋

はじめて行った平和島。用事がなければ行くこともないだろう。ちゃっちゃと用事を済ませて、ビールでも飲みながら、昼でもと思いぶらぶら。ありました。駅近くに大衆酒場、「信濃屋」。軽くいっぱいで食事してと思っていた。満席で立ち止まっていると、おばさんが席を空けてくれて相席。すみません。とエシャロットとビール。珍しく大瓶。実にうれしい。その後、もつ煮に、マカロニサラダ、あじのフライ。冷やしトマト。ビールも飽きてきたから、と焼酎の水割りを頼むが間違って、お茶割りが出てきた。まーいいよ。と頂いて、お茶割りが気に入ってまたお代わり。お客を見れば、競馬新聞をくまなくチェックしてる人もいれば、はちまき姿のにーちゃん。ジージャン姿のロマンスグレーの人、日雇の年輩の方々。給料袋から勘定してる人。いろんな人たちが昼間からお酒を飲んでる。古き、良き時代を感じさせてくれる酒場だった。お隣のおじさんと話が進んで、3時間以上いたかな。私のことは○○と言ってくれれば、すぐわかる。と何度も同じことを言う。けっこー酔っぱらっていたのだと思う。今日もいい酒が飲めたと言う気分だったんだな。おもむろにビニール袋から旬の空豆を取りだして私はこんなに食べられないから、とくれた。ありがたく頂戴した。近隣の年輩の人たちが多い店だが、本当の東京・下町を見たようだった。がんばり過ぎてる店が多い中、人間味のある人たち。いいね。



2007.4.8
70年代懐かしのアルバム。昭和54年9月20日。

お酒の席でひょんなことで70年代の話になってしまった。私より友人は少し若いが、姉の影響でフォークを聴いていたそうだ。拓郎で育って、陽水、泉屋、岡林、加川良、nsp、中島みゆき、河島英五、山崎ハコなどなど。思い出しながら話していた。陽水の直筆の文字が好きで、よくまねをして書いてた高校時代。震えをいれて書く文字はとても素敵だったし、アート的だった。その中に文字の骨格の美しさを感じいていた。まさかその頃は文字を描く仕事をするとは微塵も思ってなかった。話の中で大友裕子という名前が出た。知ってる知ってる、あ〜懐かしい。パンチの利いたハスキーボイス。「傷心」「絆」は私も大好きだった。どうしたんだろう?ね。って。話は止まらない。
私の大好きだった河島英五。若くして亡くなったが、「何かいいことないかな」って歌がラジオから流れて来たときは
衝撃的だった。声を殺してカセットテープに録音をした記憶も。社会人になって雪の中、北九州の行橋市にコンサートに出かけたことも鮮明に頭に残っている。まだ当時は売れてなくて、おまけに大雪だった事もあり、前から2列ぐらいしか入場者はいない。貸し切り状態だ。あの大きな体と長い髪を揺すって全身で歌った歌は脳裏に焼き付いてる。今でも忘れられない。
LPを買ってテープに録音しあげてた友人は今は北海道。もうー彼とも30数年のおつきあい。亡くなった時にその頃の話を電話で。懐かしい。
なごり雪でメジャーになったイルカ。忘れられない歌があるという。「いつか冷たい雨が」と言う歌だ。大変気に入って歌詞カード持ち歩いてたという友人。ストイックなだけに、友人は暗いとか、受け入れてもらえなかったという。私もこの歌は大好きだ。歌詞がどこか寂しさがありながら、人間のわがまま、勝手さ、自然の大切さ込めたメッセージソングだった。当時のアルバムが自宅にあった。サラリーマン時代に給料6万円ぐらいだったと思う。当時LPが2500円ぐらい。そうは買えない。給料日に1枚と決めて買うことが楽しみだった。育った頃は知らなくても、時を経て同じ事を感じてた人と同じ話ができる。一生懸命懐かしむ。音楽が引き寄せてくれた
友人。残してくれた思い出。大事にしなくてはと思う。

2007.3.15
ODEN。

何度か入った焼鳥屋さん。増改築しておでんを始めると言っていた。それから数週間後、前を通っているとお店がきれいになり、やっとオープンしたのかと看板を見て思った。よく見てみるとオープンじゃなくおでんと書いてるではないか。欧文でおしゃれに組まれている文字を頭でオープンと読んでしまったらしい。まだ食べたことはないが、おしゃれなおでんだろうか?まあ、焼き鳥が和だから、やっぱり和のおでんだと思うが。私のおでんは庶民的で太い文字で書かれた日本語のおでんがおいしそうに感じるのだが。今日は少し寒い。想像してたら。おでんを食べたくなってしまった。関東煮もいいが、味噌おでんもいいな。






2007.2.26
深川のもつ煮。

一昨日、友人と出かけた、モツ煮込みのお店、山利喜。5時開店だけれも、混みそうなので30分前に行ってみた。うわさ通り2.30人ぐらい並んでいた。並ぶのは好きでもないが、せっかくなので並んで入った。が席は少し空いてたようで、少し悔しい。さっそくお目当てのもつ煮込みを頼んだ。しっかり煮込んであって、きちんとあく抜きされているのでわりとさっぱり、柔らかく、程良い油分。どうやらワインを入れて煮込んでるらしい。40年継ぎ足し継ぎ足しの味噌つゆはさすがにうまかった。気取らない下町の味はいいな。メニューに壱岐の本マグロがあった。思わず頼んでみた。はじめて食した壱岐マグロ。最近大間でマグロが捕れなくなって、見島、壱岐でマグロが揚がる。ここ4.5年のことだ。温暖化の影響で海流が変わったのか?最近壱岐で揚がるマグロは、壱岐ブランドとして定着してきたようだ。18歳まで壱岐にいたが、マグロを食した記憶はない。もっぱら鰤だ。今はどうだ。壱岐勝本町の漁師はマグロ漁に命を掛けてる。それはそうだろう。200kg級1本揚がれば数百万円。壱岐の一本つりの寒鰤も絶品なので忘れずに。

山利喜さんはここ。







2007.1.25
はるひ学園。

3年に一度行われていたモリサワが主催していた国際タイプフェィスコンテスト。第6回2002年で終わった。国内外からの書体がコンテストにのぞんだ。第5回グランプリをいただいた「学園」が「はるひ学園」としてやっとリリースされた。当時、学校生活を振り返り、時には子供だったり、時には大人だったり、いろんな表情を見せる学生は凸凹なんだけど、どこかしらそれはそれなりにまとまっていたような…そんな感じを文字に込めた。制作当時は股上の短いローウエストのパンツが出てきた頃で、なんとなくそんなイメージをしていた。足が長い人もローウエストをはけば短く見える。だがそれでもかっこよく見える人もいっぱいだ。要はどう着こなすかということ。崩れたかっこよさ。飾らないかっこよさ。そんな感じをもっていた。グランプリに選ばれた時はさすがにうれしかった。書体づくりに元気をもらった。あれから7年半の時を経てリリースされた。今春4月頃の発売らしい。街で、お店で、いろんな媒体で再会できることを楽しみにしている。モリサワの書体拡張に携わっていただいた方々、ありがとうございました。






2006.12.31
終。

2006年もあっという間に終わってしまった。今年一年も随分早かった。相変わらす、世の中はよくならない。相変わらず犯罪も、自殺も不正も、ここ一年、特に多かったように思う。今年はまた、いじめも深刻な問題だったように思う。世の中がよくないとどうしても人の心が病んでるのは確かだ。来年は少しずつでもみんなが幸せになって欲しいと願ってる。今年一年おつきあいありがとうございます。いい年をお迎えください。





2006.12.12
七筆。

10月末から取りかかった筆文字フォント七筆。再来年発売予定でやっと下書きが終わった。2,500文字程の制作予定だが、一文字、30文字描いたとしたら、75,000文字描いたことになる。半紙で1,000枚、もっとあるだろうか。10月末から描き続けて1ヶ月半。久々のアナログ作業。さすが筆も毛先が切れてしまって、最初の文字と最後の文字は違ってしまった。結局半分以上は描き直しになってしまった。だかフォントとしての作業は一割程度しかできてない。これから文字を選び、スキャンし、形の整理、パスの整理が永遠と続く。フォントづくりはマラソン、いやトライアスロンといってた人がいるが、まさにその通りだと思う。完成まで一つひとつの文字に魂をいれて制作していく。かなりの重労働だ。だから完成して、フォントとしてキーボードから出てくる表情がたまらない。創った人しかわからない感覚だろう。文字創りを始めて20年近くなるが、すっかりはまってしまった。後何書体できるだろうか?そんな事を思いながら制作している。そしていつかはきっと大ヒットを夢見て。





2006.9.22
深夜ラジオ。

昨日、友人と三茶で待ち合わせ、一度行ったことのある焼鳥屋に向かった。時間が少し早かったのでまだ準備中。仕方ない。他の店を探すか。と思い歩いていると入り口にいっぱい似顔絵みたいな絵をかいたコピーが、ガムテープで無造作に貼り付けてある。店の中が全然見えない。これは何だ?何屋なんだ?と思い立ち止まり眺めていた。すると70ぐらいのオヤジさんが出てきた。と思ったら、話出して、話が止まらない。どうやら話の内容を聞いていると、2年かかって覚えた、自己流の絵の話。ぺんで描いて色鉛筆で塗ってるから、簡単。それを深夜ラジオ番組に投稿しているらしい。しっかり名前読んでもらえる為イラスト入りで送ってるようだ。26回、名前読んでもらったと得意そう。その写しをコピーして貼ってるようだ。人に見てもらいたいのだろう。今度は27回目だ。と永遠と話が続く。テレビがない時代のラジオのリクエストで名前を読んでもらってうれしかった事が、若い頃の記憶なんだろうか。年老いたことを忘れてしまってるのだろうか?いささか不思議な気がした。店先にはカッターシャツが無造作に売られている。よく見ると「仕立」「寸直し」と書いてある。とても商売をやってるように見えないが、おじさんの生き甲斐なんだろうな。そんな気がしてしばらく話の相手になってあげた。おかげで準備中のお店は営業中。マスターの話では界隈では有名らしい。何はともあれ人さまに迷惑でなければいいか。




2006.8.18
沖縄の店。

ちょくちょく行くようになった沖縄の店、「守礼の門」。たまプラーザのヨーカドーの裏手にある。小さい頃の私たちのヒーローだった真空飛び膝蹴りで一世風靡したキックボクサーの沢村忠。彼の弟子で付き人でもあった人のお店だが、彼は45.6歳の若さで亡くなったそうだ。店には当時の写真が飾られており、とても懐かしく見入ってしまった。70年代活躍した人なんだ。私より2つ上。生きてる時に出会いたかった。人が言うにはマスターに体格は違えどどことなく私は似てるらしい。島育ちだからな。とても光栄だ。短かった生涯、自分らしく生きた人らしい。マスターがいる時代からのファンの客が多く、沢村忠もちょくちょく来てたらしい。今は奥さんがやっている。店内は沖縄人でいっぱいだ。とてもセレブな奥さま方が来るようなとこではない。かざらない沖縄の店そのものだ。作業服姿のにーちゃんや濃い人でいっぱいだ。ゴリさんが何人もいる感じだ。力が入った関東で沖縄出身の方が癒せるところだろうな。そんなことを感じてしまった。何度か行ってるうち、にーちゃんから声をかけられて話し込んでしまった。私も漁師まちで育ったから見かけはごついが、彼らのこころのやさしさはとても伝わってくる。いい奴だな。なんて思ってしまった。料理は沖縄郷土料理を主に手際よくママさんが作ってくれる。先日いただいたスクガラス。冷や奴に天然塩で塩付け熟成発酵させた3cmほどのアイゴの稚魚をのせていただく。塩味が強くとても豆腐には相性がいい。ちなみに私の田舎壱岐ではアイゴのことをバリというのでピンとこないがアイゴの成魚はヒレに毒があり、あまり私の田舎では好まれない。だが干物にするととてもいい魚だ。ふと亡きオヤジと小さい頃40.50cmぐらいのアイゴを釣ったことを思い出してしまった。泡盛は、はじめて飲んだ「龍」、うまみがあり25°ぐらいだったかな。とても高級。でも値段に負けないぐらいおいしかった。ミミガー焼きもうまかった。ほんものの沖縄。がざらない沖縄。たまプラーザで見つけた。

守礼の門



2006.7.28
再会。

名古屋時代、バイク仲間のgen。引越やらで消息不明。ところが突然メールが届いた。忘年会で私のふるさと壱岐に行き、壱岐のことをネットで検索してたら私の名前にぶち当たったそうだ。なんとも。いたずらメールも多い中、ありがたいことだ。話によると近所に住んでいるではないか。8.9年ぶりに再会。偶然入ったお店に壱岐の焼酎がおいてあった。思わず一本。そして乾杯。山積みな話もいっぱい。懐かしい友人たちの話もいっぱい。若かれし頃、彼の家でみんなで餅つきしたことなどなど、なつかしい話。ご近所さんで夏に向けてバーベキューなんて話も。結局電車がなくなり奥さんに送ってもらった。近々またお世話になります。




2006.6.29
刀屋。

先月末、上田で出会ったそば屋「刀屋」。不揃いの極太麺。稲庭うどん、いや、きしめんぐらい太いかな。細い麺太い麺ととにかく不揃いさが不思議。長くそばを切っていれば、だれでも上手になってある程度は揃うはずだ。なんだか謎。私たちが行った昼の2時ぐらいでもまだ混んでいた。早速注文。大盛りのもりそばを頼んだが、お客さま初めてですか。と聞かれて、量ありますから普通で充分だと思いますよ。足りなかったら、大盛りの分あとで追加してもいいですよ。と言われて普通盛りにした。やってきたのは、東京で食べるざるの3枚分、いやもっとあるだろうか。早速頂く。食べど食べど底が見えない。麺は太いから、つるっとと言う訳にはいかない。しっかり歯ごたえあり、しっかり噛んで食べるって感じだ。食べ終えたらも-当分いいって感じだ。だか時間が経つとまた食べたくなるくせになる不思議なそばだ。地元ではとても人気もののようだ。そばは地元では喉ごしを楽しむものではなく、歯ごたえを楽しむものかも知れない。でもおいしかった。刀屋。



2006.5.25
発芽。

すっかり暖かくなってきた。新緑もきれいだ。もうそろそろ鬱陶しい梅雨か。梅雨が明けると夏だ。今年も早いぞ。
最近、ご縁で発芽玄米というものを食している。もともと健康食って全く興味なかったし、おいしいとも思わなかった。玄米のイメージは体にはいいと思っていたが、正直白米好きの私にはおいしいものとは思わなかった。ところが発芽させた玄米はなかなか旨い。自然の甘さとモチモチした歯ごたえがくせになる。白米2に対して発芽玄米1の割合で炊いているが、半々ぐらいでもいけるのかとも思う。発芽玄米雑炊、カレー、チャーハンにはとっても相性が良いように思う。今流行のギャパというものも白米の10倍含まれているらしい。おいしく健康をいただく。ちょっと贅沢かもしれない。

発芽玄米は元祖ドーマーがおすすめ。



2006.4.2
来日。

一通の香港からのメールが届いた。日本に来るのでお会いしたいという内容だ。タイポの仲間を誘ってホテルで待ち合わせした。香港のアートスクールで教えてる講師らしい。日本の文字に大変興味を持っているようだ。今日本の若いデザイナーも知らない人が多いと思われる日本を代表する河野鷹思、亀倉雄策さんたちのデザイン、文字に大変興味をもっているようだ。もともと日本語は中国からやってきたのに、デザイナーが描くカストリ明朝、大胆な文字のデザインがどうやら中国の文化にないらしい。日本人のデザインは、彼らにとって憧れなんだろうか。とにかく彼らは熱い。冷め切った日本のデザイナーを見るとなんだかさびしい。


2006.3.6
春。

昨日、一昨日とてもいい天気だった。今日は風が冷たいと思っていたら、春一番だ。例年より11日遅いらしい。どうやら花粉も飛び初めてたらしい。でも例年よりずっと少ないそうだ。昨年は多かったらしいが、なんとか花粉症はすり抜けてきたから、今年も大丈夫だと思うが。最近友人のお薦めでDr水素水ってなもんを毎日2L飲むようにしてる。いいのか悪いのかよく分からないけど、何となく血流がよくなったような。花粉症にもいいのかも知れない。アレルギーにも良いって言ってた。お試しあれ。先週三渓園ってとこに梅見に出かけた。まだ少し早かったようだ。もうそろそろかな。宮崎の友人からミモザの写真が送ってきた。もうすっかり春だな。



2006.1.16
三木鶏郎を知ってるかい?

「くしゃみ3回ルル3錠」「明るいナショナル」などのCMソング、「トムとジェリー」「鉄人28号」「ジャングル大帝進めレオ」などの歌はある程度の年いった人なら、誰でも知ってると思う。そのヒット曲を生み出した人が三木鶏郎さんって方だった。昨年末、三木鶏郎ブックが出版された。その本に私の書体、マユミンウォークを音楽関係の仕事をしているGデザイナーの下山ワタルさんが使ってくれた。同時に糸井重里さんのほぼ日刊イトイ新聞に、「大瀧詠一さんとトリロー先生の話を。」を連載で紹介されている。子供の頃、よく聴いた音楽だけに懐かしい。歌は知っていたけど、戦後に名曲をいっぱい残された先生だったんですね。なんだかうれしい。是非覗いてみてください。

大瀧詠一さんは70年代「はっぴーえんど」のグループで出した「風を集めて」は涙が出るほどうれしい歌。最近東レのCMでLeyonaさんのカバーで流れている「街のはずれの背のびした路次を…」はとっても好きな歌です。ちなみに作詞は当時メンバーだった松本隆さん、作曲は細野晴臣です。

ほぼ日刊イトイ新聞 http://www.1101.com/toriro/index.html
下山ワタルさん http://utsuwa.exblog.jp/2376544/



2005.12.31


あっという間の一年だった。2005年ももう終わり。脱線事故、台風、地震、不正、犯罪…。と良くないことが、たてつづけにおきた年だった。暗い話題が多すぎた年であった。世の中が良くないから、不正も犯罪も増えて行く。痛みを伴う改革、どこまで苦しんでる人たちは持ちこたえられるのだろう。年末、平均株価が16000台に回復したことが、来年、景気回復につながれば、笑顔の人たちの元気をもらって、病んでる人たちも元気になっていく。そんな年で2006年はありたいな。みなさま、いい年をお迎えくださいませ。


2005.12.10
ット
「トウキョ ブギウギ リズム ウキウキ ココロ ズキズキ ワクワク…」笠置シズ子さんが歌った東京ブギウギ。幼い頃テレビで見てたような記憶はあるが、服部良一さんの音楽だそうだ。昭和ポップスを創り上げた偉大なお方だ。父の時代、戦後、そのメロディが人々を励ましてくれたんだろう。その長男は作曲家の有名な服部克久さん。次男が服部吉次さん。iwatoで吉次さんのライブ「ハット」が行われた。父が手がけた音楽をアレンジしたライブはその時代を知らない私にも、なんとなくその時代を感じることができたようなそんなライブだった。貧しかった時代なのにココロは裕福たったのだろう。iwatoプロデュースの「ハット」はアコースティックなジャズライブ、クラシックライブ、落語、朗読、シネマなどエンターテイメントを目指して行われるようだ。よき時代のものを後生に伝えて行く。とても大事な事のよう思える。また次回も楽しみにしています。プロデュサーの甲賀さん。案内ありがとうございました


2005.11.16
ホッピー。
最近のお気に入り。事務所近くにできた焼き串屋、みんなのぶた。一本90円。持ち帰りの人もかなりいる。ビールはドライ。しょうがないけど一本頼む。変わり種は特にないけど、何となく庶民的なところが好きだ。下町を思わせるホッピーが置いてある。黒ホッピーもある。ロゴも品のなさが私は好きだ。おいしい飲み物とは思わないが、なぜだか串ぶたとは相性がいいように思う。あー。寒くなってきた。熱燗で屋台のおでんをつつきたいな。


2005.11.7

もうすっかり、肌寒くなってきた。山は少し色付いてきた。陽も短くなってきた。山手線の原宿駅のホームに、巨大な明治神宮の椎の木から椎の実が落ち散乱している。この時期になると毎年のことのように秋を感じる。小さい頃、椎の実を拾ってフライパンで煎ってよく食べたものだ。懐かしい。煎りたての椎の実は香ばしくておいしかった。今は食べる事も、食べたいと思うと事すら忘れてる。お金のかからない、おやつみたいなものだったのかも知れない。今でも田舎では朝市なんかで売られている。ドングリに似ているが、少し小さめでちょっとスマート。煎りたてのおいしさの感覚は今でも記憶の中にある。お菓子の原料にも使われていたと聞くが、今はどうなんだろう。自然を食べる。ほんとの贅沢かも知れない。



2005.10.5
月見ル君想フ
ライブなんてもう何年ぶりなんだろう。先日青山で行われたコンサート。団塊世代の人たち。彼らのパワーには驚かされる。斉藤哲夫さんの「されど私の人生」、よかった。娘さんの電子ピアノ。やっぱり親子だ。シバさんブルース、ハーモニカ。とってもよかった。中山五郎さんのストローク、70年代を思い出す。よしだよしこさんの歌声、とってもさわやか。あがた森魚さんの「赤色エレジー」とても懐かしかった。さすがだ。三上寛さんのAm、芸術だ。そして語りの中で中山五郎さんが言ってたことが印象的だ。私達は同世代で30数年好きに生きてきた。今若者がフリータ−、ニートとかで悩んでいる人たちも多い。でも私達でさえこうして生きて来れた。一生懸命やり続ければ、きっと何かがあるって事。彼等もフォークの時代が終わって20数年。それでも彼等は食べる為の仕事をやり、音楽は捨てなかったっていうこと。やってきた人たちだから、言葉が重い。そして最後は今春亡くなった仲間の高田渡さんの追悼を全員で合唱。いいね、同じ事を続けた仲間たちのこころはとっても美しい。とってもうれしく思った。感動だ。次回11月に追悼コンサートではなく、彼の生誕を吉祥寺でやると言ってた。楽しみだ。


2005.9.27
青山フォークジャンボリー
一通の封書が届いた。昔ながらの縦長の封書だ。手書きの宛名の文字にはこころあたりはない。裏面を見ると斉藤哲夫氏からのコンサートの案内だ。2年前ぐらい前になるかな。氏と呑む機会があった。しっかり呑んで酔っぱらって、強引に彼の持ち歌を歌ってもらって、ふたりして山手線の電車の中で大転けした。彼は70年代のフォークシンガー。「さんま焼けたか」が印象的だ。80年代かな。ミノルタのCM。宮崎美子さんのジーンズを脱ぐシーン。糸井重里さん作詞の「ピカピカ」。彼が歌った「君の瞳はピカピカにひかって…」と言えは、記憶にある人は多いと思う。彼が斉藤哲夫氏だ。当時フォークシンガーがTVにでることはほとんどなかった。ギター雑誌の「ヤングギター」って本があって、今でもその本をもっている。当時オーバーオール姿の彼は、本の中の憧れの人。こうして今お誘いがあることがとてもうれしい。ぶらっと覗いてみよう。


2005.9.10
世界柔道。
目標を定めた選手たちの柔の道にはいつも感動させられる。柔の道は一日してならず。毎日の積み重ね。ハードな練習に耐え、精神面を鍛え、大きなケガで地獄から這い上がった人たちの生きざまを目の当たりにする。それでも勝てなかったり。悔しさ噛み締め、また次を目指す。過酷な道だとつくづく思う。頂点を極めてもまだ先がある。そんな姿に感動と泪と元気をもらう。日本柔道が世界柔道になってどのくらいなるのだろうか?私の若い頃は有効、効果、指導などのルールはなかった。1本、技あり、優勢勝ちという判定たった。日本柔道が世界に認められ、ルールも大きく変わった。ヨーロッパ勢の力と小技に何度も日本柔道は泣かされる。ルールは世界柔道に変わっても高々と腰に乗せて投げる1本の日本柔道がみたいものだ。平成の三四郎のような豪快な背負い投げ。観て視たい。



2005.9.1
パッケージ。
白い卵と茶色い卵。卵の色には関係なく、いい餌で育った高級卵でも卵の色が白でも茶でも中身は同じらしい。だだ生みの親が違うと言う事だけ。成分も味も同じだそうだ。同じ値段で白と茶があると茶色の方が得した気分。不思議なものだ。見慣れたものより希少のものを求める。これは自然がつくったパッケージデザインだな。とふと思った。中身は同じでも皮で判断する。商品の善し悪しは最終的には中身で決まるが、皮でよさそうに見せてあげる。ここまではデザイナーの仕事だ。後は中身だ。同じ事は企業にも言える。いい顔の会社だけど、現実中身はね。って。


2005.8.20
関西の味。
関西の下町、通天閣あたりに昔ながらの居酒屋がいっぱい。関西の人でも恐いところだそうだ。大阪だから串あげを食べなくては。夕方から足を運んだ。ソースにつけて食べる串あげ、そして生キャベツ。いいね。これは。お決まりの二度つけなしね。ビールをしこたま飲んで、串あげしっかり食べて次のお店ではやっぱり焼酎。そして喫茶スナック。2時を回っていたな。ちょっと呑み過ぎか。でも文字の話をずっとしてたように思う。文字バカだね。昨日の串あげはちょっと上品すぎた。私のイメージは衣がパリバりで少し堅め、豚は脂があるバラ肉がやっぱりいいな。



2005.8.12
音色。
昨日行ったお店のマスターが二胡を演奏してくれた。生で聴くのは初めてだ。外弦と内弦の2本の弦の間を弓が通っている。うまく上下の弦をあやつり音を出す。すばらしい音色だ。中国の伝統楽器なだけに自然に音色も中国を感じさせてくれる。マスターはもちろん中国人。生まれ育った地の長い歴史も感じさせてくてた。ちょっとお借りして音を出して見たが、まったく私には音にならない。少し習って見るか。


2005.8.10
井上ともやすバンド。
先日、打ち合わせで汐留にでかけた。夏休みとあって子供たちがいっぱい。打ち合わせ後さっさと事務所に戻ろうと思ってたら、アコステックのギターと、拓郎の「人生を語らず」が聞こえてきた。うれしくって。懐かしい拓郎のコピーは井上ともやすバンドだ。拓郎にあこがれてギターを弾くようになった彼は私と同年代。当時の思い出が一気に蘇る。オープンエアのテーブルにすわり聞きいってしまった。人生を語らず、お伽草子、結婚しようよ。ビートルズが教えてくれた。涙が出る程の感動だ。当時の拓郎ファンにはたまらないサウンドだ。字余りの拓郎節も、声の張り上げ方もさすがだ。その当時夢中になった人しかわからないだろうな。その時代の空気感みたいなものがしっかり出ていた。とってもよかった。懐かしかった。元気になれた。感動。



2005.8.4
流行。
昨年、北海道に転勤で行った友人が帰ってきた。ちょうど1年ぐらい前になるか。彼はジンギスカンのお店をやりたいとその頃言っていた。彼も行きつけだったお店でお帰りなさい会やろう。と言ったんだが、ジンギスカンに行こうよ。と返ってきた。随分ジンギスカンのお店を見かけるようになった。体にいいものがあると報道されると、一気に流行りになる。飲食店のサイクルは早い。1.2年で稼いだ人はいいが、後追いをした人は果たして元はとれるのだろうか。10年ぐらい前に九州のもつ鍋が大ブレイクしたが、どうなったんだろう。お店はあるのか。全く見かけない。まだまだ彼はジンギスカンのお店をやる気でいるのだろうか。


2005.7.25
地震。
あーーー。関東ももうこれで終わりかと。一瞬頭をよぎった一昨日の地震。あれで震度4.5だからな。地震慣れはしているが昨日のは凄かった。MACに向かっていたが制作中の書類をすぐ保存し、思わす MACを押さえてしまった。6.7になるとどんなんだろう。経験はしたくないものだ。エレベータ、電車に閉じこめられた人はさぞかし怖い思いをしたんだろうな。携帯も不通になるし、不安はつのる。いよいよか。



2005.7.19
博多祇園山笠。
7月の頭から始まる山笠。博多の街は、のぼせもんで仕事どころじゃない。この祭りのクライマックスが14日の深夜より15日の朝方までの最終日の追い山で祭りは終わった。14日の深夜に各流(ながれ、関東で言えば組)600人ぐらいの中から20数名が静かに選ばれる。緊張の一瞬だ。そしてスタートのテスト走行みたいなものを繰り返し、担ぎ手の配置か決まる。そして本番。8つの流が5キロを30分の速さで御輿担いで走りきる。すごい勢いだ。うまく担ぎ手を交代しながら、タイムを競う。しめこみだけの男だけの祭り。博多っ子の熱き思いが伝わってくる。1年をかけた祭りだけに勤め人は会社を休むのは当たり前。遠方にいてもこの時だけは地元に帰る。それで首になった人たちもいっぱいだ。街の中は、いたるところにポリバケツ。女性陣がひっきりなしに水をまく。街の中は洪水みたいな水びたし。見物の私もいっぱいかぶってしまった。3才ぐらいの幼い子ももちろんしめこみ姿で5キロを走りきる。そうして次世代も永遠と続くのだろうな。熱き思いに感激。


2005.7.11
梅雨。
今年の梅雨は余り雨も降らない。空梅雨か。と思っていたら梅雨らしく冴えない天気が続いてきた。そうかと思うと九州は大変な事になっている。豪雨による土砂崩れ。九州地震に続いての天災だ。どうも世の中今一つ景気の低迷から抜け出せない。自然が私たちに何かを伝えようとしているように私には思える。そう思うのは私だけだろうか。教育にしろ、裏金、不正、犯罪、自殺。…。あるべき姿を失ってしまった結果のように思えてならない。宗教には興味はないが、あの有名占い師も言ってたように、国は滅びますよ。そんな風にも感じる。水不足でも降り過ぎても生きる事に大事な食べ物にも影響が出るし、高い野菜を買う消費者にはまたまた負担が。物事、ちょうどいいが、ちょうどいい。合掌。


2005.7.8
看板職人。
神社の境内で見つけた看板職人。鉛筆で5cm角ぐらいの升目を引いて、下書き無しで平筆を旨くあやつリ一気に描いていく。横線は細い部分で、縦線は太い部分で、跳ねの部分は角を旨く使い、すべてフリーハンドだ。すごい。手での汚れを考え左から右へ。見事なものだ。しばし立ち止まりずっと見ていた。そしてこの文字はどう言う文字ですか?と聞いて見た。すると「明朝」と返って来た。活版の文字ですよね。と聞くとそうだね。と返ってきた。私が知りたかったのは、どの時代の文字なのかだったが、そんなことは関係のない事のようだった。自分が習った文字を旨く速く描くことが仕事のようだ。私が見る限り60後半ぐらいかな。あと10年もすれば、こんな職人さんは見る事ができなくなるんだろうな。寂しいものだ。残念だ。



2005.7.1
ひとりごと。
今年も半分終わってしまった。時の経つのは早いもの。不正、犯罪、地震、事後、あまり明るい話題はなかったように思う。時の流れと共によくなって欲しい世の中。応急処置だけの治療に限界を感じる。溜った膿は全部出し切って、新しく基から治療するしかない。そろそろ完治して欲しいものだ。7月1日、今日から後半、この分だとあっという間に今年も終わりそう。



2005.6.27
クールビズ。
梅雨なのに、このところ何だかものすごく暑い。今日の気温はこの夏最高の33.1度だ。不快度指数80%だそうだ。湿度も高くエアコンのタイマーかけて寝ても、切れると目がさめてしまう。温暖化なんだろう。最近クールビズと言う言葉をよく耳にする。お国が率先して始めた温暖化対策。大切な事ではあるが、聞きなれない言葉にどう言う意味か?と思っていたら、「ビズ」ってビジネスの意味らしい。全く。誰がネーミングしたが知らないが、やたら横文字を使いたがる。日本人だろう。日本語で分かりやすく、伝えるべきではないか。


2005.6.20
藤村記念館。
甲府の武田神社の敷地内に藤村記念館がある。明治の中頃建てられた擬洋風建築。藤村紫朗による藤村式建築と呼ばれた旧睦沢学校。今は重要文化財として残されている。教室には昭和の中頃の教室の様子が再現され、机には当時の教科書、子供の遊具、運動具、木琴、オルガン、ピアノなど懐かしいものや江戸時代の寺子屋時代の教科書も展示されている。一冊欲しかったが、記憶の中にとどめるしかない。2階に上がり藤村紫朗の顕彰室をのぞいていたら、「ねこふんじゃった」のピアノが聞こえてきた。あー。懐かしいと思いきや、たまたま遊びに来てた小学生の低学年の可愛い女の子が二人で弾いているじゃないか。なんともほのぼの。

2005.6.3
若貴。
元大関貴ノ花、双子山親方の告別式が行われた。喪主争い。若乃花が務めるのが当然のように思うが、相撲業界を去った人、貴との亀裂は大きい。兄は弟を思いやり、弟は兄を慕う。小さい頃から共に支えあってきた筈。小さい頃は仲のいい兄弟。大人になって自分の意思で判断できるようになった時、考えた方の違いはあまりにも大きい。幼い頃ケンカばかりしてきた兄弟は大人になると仲がよい。それには幼い頃ぶつけ合ったストレートな気持ちが大人になって理解できるようになったためか。血を分けた兄弟だけにやっかいな話だ。なんとかならないものか。



2005.5.31
双子山親方。
昨日、元大関貴ノ花、双子山親方がなくなった。55歳の若さだった。丁度30年になるか、初優勝、北の海との一戦はいまでも脳裏に焼きついている。小よく大を制す。と言う言葉がぴったりだった。小兵ながらの粘り腰は土俵を大きく沸かせファンをくぎづけにした。ライバル輪島との一戦も数ある名場面も忘れられない。そして千代の富士に破れ引退。千代の富士は息子、貴花田に破れて引退。若貴ブームも終わり、少し陰をひそめてしまった。当時の貴ノ花のスター性が相撲会を大きく引っ張っていった。楽しませてくれた。残念だ。ご冥福申し上げます。


2005.5.27
初夏。
ついこないだ桜が咲いたかと思うと新緑ももう終わり。事務所の窓ごしから見える一本の木。ほとんど窓に近いところにある。若々しい葉っぱをつけたかと思うとだんだん親葉っぱに馴染んできた。小さい花が咲き、ミツバチが密を集めて次から次へと飛びまわる。窓から高速道路ととなりのビルが見える。陽当たりはいいが味気ない。一本の木とミツバチ。こころを少し和ませてくれた。時の変わりも見せてくれた。


2005.5.23
パントマイム。
先日公園で見たパントマイム。黒いスーツにサングラスとハット姿のギャングスタイル。マトリックスのスローアクションを思わせる動き。思わず立ち止まり、座り込み魅入ってしまった。大阪出身の若者だ。鋭い動きにジョークも交えながらの大道芸。すっかり楽しませてもらった。なかなかのものだった。こうして頑張ってる若者の姿を見せられるとうれしくなってしまう。こんな人たちが今から芸人としての大きな世界を創っていくのだろうな。


2005.5.17
関東の味。
麺を食べる讃岐、薄味を楽しむ関西、冷やしがいい稲庭。それぞれにおいしさがあるうどん。関東のうどんはやっぱり濃い。醤油がつよく、味が濃いが江戸っ子にはやっぱりこれかな。事務所の近くに昔ながらのうどん屋さんがある。カウンター10席ほどとテーブルが2つ。毎日作業着姿の人と常連さんがやってくる。やわらかで飲み込めそうな麺に濃い醤油味。なんか昔、自宅で食べてたうどんのような感じだ。長葱の刻みとわかめ、そしてわたしは生卵をいれる。卵が出汁に溶け込んでまろやかに。これなら私にもいける。発見。


2005.5.13
肩身が狭い。
飛行機、電車、町の中、会議、どんどん吸えなくなるたばこ。吸う人にはとても辛い。肩身が狭い。先日自販機で買ったたばこ。パッケージの正面に「人により程度は異なりますが、ニコチンにより喫煙への依存が生じます。」裏面には喫煙は「あなたにとっての脳卒中の危険性をたかめます。」「疫学的な統計によると、喫煙者は脳卒中により死亡する危険性が非喫煙者に比べて役1.7倍高くなります。」とデカデカと書かれていた。やめろと言うことか、覚悟して吸えと言うことか。もっともっと肩身が狭くなってくる。考えさせられる。


2005.5.6
こころ。
ちょっとしたことで元気になったり、楽しくなったり。ちょっとしたことで傷つけたり、悲しませたり。言葉はとっても難しい。毎日のようにJRの大惨事の対応が問いただされている。責任の重さ、事の重大さはどんな言葉を並べて謝罪しても伝えられないだろう。間違った言葉も間違った報道もそれは仕方ない。でもこころで対応していくしかないだろう。亡くなった遺族も生き残った人たちでさえも、こころに受けた傷は大きすぎる。こころのケア。長い時間をかけるしかないのだろうが、一日も早く。


2005.5.2
スコアボードの人生。
昨日深夜、もう寝よう。と何気なくテレビ見たら、「スコアボードの人生」ってドキュメントがやっていた。高校、大学、社会人と野球人生を送って来た木村稔さん75歳。事故で野球を断念。その後、リハビリで始めた書がきっかけでスコアボードを書き続けて32年。新球団誕生とともに一人の裏方さんが消えた。話の中に毎日が作品展ですよ。下手な文字は見せられない。とも語っていた。スコアボードの隙間から32年間、試合を見続けてきた木村さんは、一文字一文字、心をこめて描き続けた。文字の中に、32年間という野球人生が凝縮されていた。支えてきた裏方さん、誰よりも野球を愛していたのだろう。おつかれさま。ごくろうさま。


2005.4.28
事故。
地震、台風、竜巻、殺人、自殺、不正、そして脱線事故。速度の出し過ぎか、置き石か。またまた、死者を出してしまった。悲しい。列車待ちでも遅れるとイライラする。制約の中で生きてる私たち。便利さを追ったツケか。原因究明は必要がだ、このところいろんな事が起きている。人間が創り出した今の世の中。自然は今私たちに何かを伝えようとしているのではないか。私に変わって犠牲になった方々の御冥福を申し上げます。


2005.4.25
凧。
ぶらり旅の途中で見つけた気持ちよさそうに泳ぐ凧。青空を風にのってスイスイ。いかにも気持ちよいそうに。凧揚げ大会だったのだろうか。かなり遠くを泳いでいたのにかなりの大きさ。天気もよくて風もあったので、よかったのだろうな。最近凧揚げなんて見かけることも少なくなったな。ゲームもパソコンもない私たちの小さい頃は、よく自然と遊んだものだ。自分で作って。下手な絵を描いてね。


2005.4.22
宮崎。
先日宮崎行くけどどこがいい。っと聞かれたので高千穂がいいよ。っと答えた。私が好きな所でもある。国見ヶ丘から見る雲海、天照大神が隠った天岩戸、夜神楽、高千穂狭などとっても神秘的。自然を眺めながらゆっくり走るローカル線もとてもいい。食は宮崎地鶏の炙り焼き、きびなご、日向かぼちゃの漬け物、冷や汁など。そう言えば宮崎の大将、元気かいな。冷や汁食べたいな。すっかりご無沙汰してしまった。東京生まれの東京育ちの人は決まってよく言う、田舎があるっていいね。って。


2005.4.18
ご冥福。
一昨日、突然ラジオから流れてきた訃報。高田渡56歳の死。知る人ぞ知る、フォークのカリスマ。60年、70年代。酒を愛し、たばこを愛し、人を愛し、心を歌った庶民的アーティストだ。こんなに自分の生き方を貫いた人はいないと思う。お酒が好きで人が好きで人一倍寂しがり屋だったのかもしれない。吉祥寺のいせやにはよく顔を出したという。この時代の高石ともや、岡林信康、五つの赤い風船、遠藤賢司、加川良、三上寛、遠藤哲夫、古井戸、吉田拓郎、RCサクセション、泉谷しげる、友川かずき、井上陽水、なぎら健壱…などなど、ずっとずっと元気で歌い続けて欲しい。ホントに残念だ。ご冥福申し上げます。

2005.4.12
銀塩。
デジタルカメラに食われてしまったDPE業界。そして55ステーション。ついに会社更生法。大事な大事な思い出写真、心の記憶を簡単なラボ機を使ってプリントし、昔のコンビニ感覚で商売。速さにこだわり、低コストにこだわり、そしてビジネスをパッケージ化してしまった。それでホントに良かったのだろうか。苦しめられた昔の写真屋さん。こだわりを持っての撮影、修正、プリントは作品みたいなものだった。この違いを今の時代、感じているようにも思える。心のこもった真のサービスをも一度考えるべきではなかろうか。私が知るあの店は大丈夫かいな。

2005.4.11
魚肉ソーセージ。
ソーセージと言えば、昔は魚肉だった。今は歯ごたえのあるおいしい挽肉が多いが、今でも食品売り場には置いてある。2流と言うか、3流と言うか、あの品ないおいしさはビールのおともに欠かせない存在のようだ。名古屋では魚肉をふんだんに使った、あんかけスパゲッティーなど健在だが、少し陰が薄い。先日市場で思わす買ったイワシソーセージ、1本100円。イワシのすり身できたソーセージ。なかなかうまい。安いと思ったが、よくよく考えてみると通常の魚肉ソーセージは半分以下か。



2005.4.7
無。

2005.4.4
ガード下。
有楽町のガード下。昭和を感じさせるレトロなお店、まんぷく食堂。丹下左繕、座頭市、網走番外地などの昭和の映画のポスターが思わず目に飛び込んでくる。力強い描き文字、筆文字の世界だ。職人の手によって描かれた文字にはよき時代の義理と人情さえも感じさせてくれる。そのお店のおすすめは肉豆腐らしいが、やっぱり懐かしのハムカツ。ハチ公ソース。家庭用は限定なので手に入りにくいが、この味はどこか懐かしさがある。つい銀座あたりにでかけると行ってしまう。

2005.4.1
再会。
7年ぶりの再会。そして久々のお店。随分ご無沙汰してしまった、熊本のオヤジさんがやってるお店。もっこす。海苔焼酎。友人ははじめて飲んだらしいが、少し海苔の香りがある。もちろんロック。水で割ると怒られてしまう。私が東京に出てきて一番最初に入ったお店。九州育ちの私には、熊本ということだけで親近感があり、少し前まではよく通った。オヤジさんもママも元気そうで何よりだ。友人の会社が馬場にあるのでまた通うことになりそう。

2005.3.31
TV。
昔むかし、私が小学校の低学年だった頃、やっとお茶の間に入ってきた。まだまだその頃はテレビが珍しく、チャンネル数も少なく、チャンネル争いどころか、オヤジの持ち物で、相撲、チャンバラ、時代劇ばかり見てきた。漫画なんか見せてもらえない。それでも見たいと思っていた。今はどうだ。年を取ったのか、全くつまらない。NHK少しとニュースとドキュメントぐらいは見るが、見たいものが見つからない。でも昨日はさっさと仕事切りあげビール飲みながら、観賞。良かった良かった。

2005.3.29
開花。
電車の中はマスクの人がいっぱい。やたら目につく。きっときっとこの時期は桜どころじゃないか。マスクの人は。できれば部屋の中で外気を入れず好きな映画でもテレビでも見ていたいかな。大変なんだろうな。私は何とか大丈夫だけど、いつやって来るかわからない。気を付けようがないからな。こればかりは。桜と言えば吉野のしだれ桜、推定樹齢200年、樹高は約11メートル、根元は約5メートル近くあるかな。ずいぶん昔行ったな。例年より遅い桜。今週末、関東ピークか。

2005.3.28
座談会。
グラフィックデザインの文字に対する意識の違い。グラフィックの中で最も重要である文字。関心がない。知らない。必要だと感じてない。今の教育現場でも文字について教えていない。書体デザイナーは莫大な文字数を一つ一つデザインしていく地道なデザイン。にもかかわわず、法的保護が現時点ではない。複製されても守ってくれる法がない。文字を創る、文字を愛する文字バカはある意味、職人でもある。創る事が楽しくってしょうがない。だが現実は文字の世界では食えてない。このままで良いのだろうか。文字文化は継承されるのだろうか。

2005.3.25
理事会。
長い長い理事会。月に一度お会いする人。しょっちゅう会う人。総会、新年度の予算など長い話。その後はいつものお店。上海焼きそば、豚のみそ煮、めざしに、つけものなど。珍しく米焼酎。その後通りがかりの屋台。おでん、久々の日本酒。そしてもう一軒。深夜帰宅。呑むと思い出すことがある。少し呑みすぎか、頭痛い。

2005.3.23
おいしいメロンパンのお店。
友人、oから頂いた情報だが、某コンビニで販売の「おいしいメロンパンのお店」。私のこころNo.1 の書体が使われている。さっそく確認したが、漢字の「店」が全く違う。かなの骨格は全く一緒。だだ「パン」のパの○が大きくなっているし、「お」のカーブが微妙に違う。文字を愛する文字デザイナーは0.0mmのカーブを気にするから本人にはよくわかる。こだわりのデザイナーなのか。疑問は残る。買ってくれてるならとてもうれしいけど。果たして。

2005.3.21
九州地震。
福岡、玄海島、私のふるさと壱岐。はじめて経験の地震だ。私は18まで壱岐で育ったが私自身、地震の経験はない。地の人は海の恐さはイヤなほど分かるが、地震の恐さは全く知らない。地震対策も全くないだろう。地震なんかある訳ないと思って育ったから当然だ。姪
は思わず机の下に隠れたと言ってたが、兄夫婦は足がすくんで身動きがとれなっかた様子。天候の変化か?最近玄界灘で鮪が揚がるらしい。新潟に続き九州。次はどこだ。うわさのように関東も危ないか。

2005.3.20
NSP復帰。再結成。
70年代、フォークの全盛期。拓郎、陽水で育った私は当時高2。オールナイトにっぽんとフォークビレッジで育ち、通販で手に入れたギブソンモデルのハミングバードを片手に友だちと夜中までよく騒いだものだ。その後登場したニューミュージックと呼ばれたNSP(ニュー・サディスティック・ピンク)(なっとう・そらまめ・ぴーなっちょ。)とも言う。天野滋と中村貴之、平賀和人の3人組フォークバンド。1本調子のリズムと歌い方には当時とても新鮮。さよなら。汗。夕暮れ時はさびしそう。そして雨は似合わない。などなど。思い出いっぱいのグループだ。サラサラロングヘアーだった天野滋もすっかり渋くなった。復帰。とてもうれしい。

2005.3.7
泥酔。
酔った勢いでと言うことをよく耳にする。楽しい酒、悲しい酒。緊張をほぐす酒。お酒はこころを癒してくれるものですね。私もお酒は何でも好きだから、つい一杯がお腹一杯になってしまう。時には2日酔い。飲んでも呑まれないように。酒好きだからおいしく呑む。楽しく呑む。当たり前。おいしい酒は2日酔いでも良いが…。