プロフィール

壱岐の島

筒城浜
筒城浜

面積:138.13km2
人口:35,675人
人口密度:261.8人/km
総生産:712億/年

「鬼凧」おんだこ
壱岐のシンボル
「鬼凧」おんだこ

壱岐ってこんなところ

福岡、博多港より北へ約75km。
佐賀、唐津呼子港より27kmに位置する玄界灘に浮かぶ島です。
地理的には博多、唐津がずっと近いところですが長崎県下になっています。
緑が多く、海に囲まれた壱岐の島は、シーズンとなると釣り客、海水浴客でいっぱいです。
魚はうまいし、海もきれい。
やっぱし観光は夏だな。

地図

魏志倭人伝の中の一支(壱岐)の国。

魏志倭人伝、正式には三国志。中国の「魏」、「呉」、「蜀」の三国がならびたっていた頃の歴史を示した三国志の魏書による「倭人」=日本についての記録が残されている。その中に「倭人」は30カ国としるされている中の「一大国」が「一支国」、いまの壱岐であることだけが断定されている。邪馬台国は果たしてどこにあったのか、卑弥呼は誰だったのか、大和朝廷はだれが築いたのか、なぞはいっぱい。…詳しいことはその道の達人へ。

遺跡発掘風景
遺跡発掘風景

原ノ辻遺跡 展示館
原ノ辻遺跡 展示館

魏書
三国志の「魏書」倭人の条

元冦「文永、弘安の役」にみる壱岐。1274年、1281年。

壱岐、対馬は古代から大陸と九州を結ぶ中間点。大陸の文化が一番最初に入ってくる場所でもあり、最初に被害を受ける場所でもあった。その典型的な出来事がモンゴル帝国の襲来「元冦」です。文永の役では壱岐は壊滅状態。弘安の役では鎮西奉行、少弐経資の息子、少弐資時が守護代として来島し、壱岐、日本を守り、19歳の若さで戦死した。と言われている。

少弐資時の墓
少弐資時の墓

電力の鬼、松永安左エ門は壱岐の偉人。

「生きているうちに鬼と云われても、死んで仏となりて返さん。」松永安左エ門の「私の履歴書」の書き出しの「私の不遜の和歌」。米寿の祝いに友人から「貴方は日頃、電力の鬼と呼ばれている。鬼は死んでも地獄にも、極楽にも行けまい」という和歌をもらってその返歌としてつくったもの。氏の偉大さがうかがえる。97歳の生涯、電力とともに生き、日本、そして国外へと残した功績ははかり知れない。いま私達がおいしい食事ができるのも、こうしてネット上で欲しい情報をすばやく流通できるのも氏の功績なしではありえまい。

松永記念館
松永記念館

『春一番』は壱岐で生まれた凶暴。

「春一番」というと暖かな春を運んでくれる、のどかな雰囲気があります。実はこれがたいへんな凶暴です。飯台をひっくりかえす頑固オヤジ。そんなものではありません。突風や竜巻きで土砂崩れ、雪崩れ、海難事故、ある時は走っている車までひっくり返す勢いです。あまく見てはいけませんね。その昔、1859年壱岐の漁師が春の強い突風で53人が遭難してから漁師の間では、春の初めの強い南風を「春一番」というようになったという。大変恐れられていた風です。そこから天気予報などに使われるようになって一般化したとさ。ほんとの話。

春一番の塔
春一番の塔

焼酎の発祥地。

島の中には7つの蔵があります。壱岐の焼酎は麦焼酎ですが原料は米麹と大麦です。
古代から日本とアジア大陸を結ぶ要衛地にあった壱岐。中世から近世(1,100 年~1,500年)頃、中国から蒸留技術が日本に伝えられたといわれています。江戸時代には自家製の焼酎が造られていたが、明治の後半に免許登録制なってから、自家消費ができなくなり商売として始まったのが「蔵」のはじまりだそうだ。江戸時代、米は年貢米としてほとんど藩の財政になっていた。そんな時代に贅沢な米を使っていたとは驚きだ。

壱岐焼酎
壱岐焼酎
最近東京でも見かける
壱岐焼酎「無一物」

イカの中のイカ「ミズイカ」。

玄界灘に浮かぶ島、壱岐はもちろん魚貝の宝庫。荒波にもまれたブリ、鯛。そしてウニ、アワビ、さざえにトコブシ。
むかし、漁師に聞いた話だが、ブリの子供は「ハマチ」。というのはご存知の通り。だが壱岐では天然ものは小さくてもブリ。養殖ものは大きくなっても「ハマチ」として区別しているようだ。生まれが違うんですね。養殖ものはいつまで経っても出世しないようです。魚もおいしいですが、忘れてはいけない逸品、それが「ミズイカ」。正式にはアオリイカ。肉厚の平面スライス上におろした刺身は、甘味が強く実にうまい。これを食べたら魚なんてって云いたいところ。壱岐でもやっぱり、ミズイカは高価。ちなみにケンサキイカ、ヤリイカ、透明度の高い捕れたては、やっぱし、うまい。

とこぶし
とこぶし

ケンサキイカ
ケンサキイカ

ヤリイカ
ヤリイカ

ミズイカ
ミズイカ

うまかもん「あご」。

魚の中で唯一飛行する魚「あご」。実はトビウオです。
春から初夏にかけて九州西岸から日本海西部沿岸に産卵のために回遊します。産卵された卵は10~15日でふ化し、その年の秋には10~15cmの未成魚になり北風にのって冬越えのために、東シナ海方向へ南下していきます。産卵の時期に親魚を、その秋に未成魚を定置網、船曳網で漁獲します。親子とも捕らえるなんて惨いようですが、漁師さんは生活がかかっています。漁獲のほとんどが未成魚です。干物「塩あご」、「焼きあご」として食べるのが多いようです。ちなみに夏場、福岡から壱岐に向かうフェリーの中から運がよければ、あかとんぼの群集のように飛んでいる光景を見ることができるかも。飛行距離はなんと300メートル、時速60kmとか。

あご
あご

さる岩
自然がつくり出した芸術、
「さる岩」

うまかもん「あらかぶ」。

こちらは大根、カブとちがって魚。正式には「カサゴ」。
夏から秋にかけて近海、岩場で捕れる口が大きく、ちょっと不格好な魚。潮が満ちてくる時に捕れる「満ちあらかぶ」は天下一品。タンパクで焼いて良し、甘辛く煮付けて良し。だが忘れてならないのが「あらかぶ味噌汁」。丸ごと一尾、お椀で泳ぐ姿は、食をそそります。あらかぶのだしがきいてて実に良い。郷土料理なだけに家庭ではよくつくるがお店ではあまり見かけない。

あらかぶ
あらかぶ

はらぼげ地蔵
はらぼげ地蔵

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