飲む人も飲まない人も神輿担いで千鳥足。
そう、新宿十二社・熊野神社のお祭りです。
ちょっと変わった担ぎ方、千鳥担ぎと申します。
お馴染み江戸前担ぎの三社祭のように上下に揺らす担ぎとはちょいと違います。
先棒を首後で受け、寄りかかる様、チャンチキリズムに「オイサ、チョイサ」の掛け声で小刻みに担ぎます。まるで、アヒルが歩くよう。簡単そうに見えますが、なかなかハードなのです。
私も○年前から、お世話になっています。
【新宿十二社・熊野神社へGO!】

「火事と喧嘩は江戸の華」江戸っ子を象徴する、だれもが耳にしている言葉ですね。
江戸っ子はイキがいい、曲がったことが大嫌い。命までもかけてしまう男気は、今でも大変魅力です。当時、一番モテた男といえば、やっぱり火消しの鳶。め組の辰五郎。
町の少ない経費でやりくり、町民からは絶対的な支持、些細なもめ事まで顔を利かせていたのが、火消しです。
二番目にモテた男「一年を二十日で暮らすいい男」肩で風きる力士です。
火消しにとっては天敵で「地方から出てきた成り上がり者」とよく思っていない。
そんな両者が居合わせた居酒屋での出来事。力士が酔った勢いで倒した障子が、火消しに当たってしまいます。
「やりやがったな」と始まるところを「他の客に迷惑がかかる」と辰五郎はその場をおさめます。
しかし、その一件で「火消しには度胸がない」と馬鹿にされることになってしまう。
後に、またもや芝居小屋で力士とはち合わせ。
とうとう辰五郎の堪忍袋も切れ「鳶を馬鹿にしなさるな」と因縁の対決、大きな喧嘩になったそうな。ご存じ、め組の喧嘩です。
鳶の威勢の良さは、まさに江戸っ子。ぐっと我慢してから、やり返すかっこよさは今でもイイ男の条件かな。
そういえば、祭りで知り合ったSさんもバリバリの江戸っ子。
小学生だった息子に嫌がらせは2回までは我慢しろと教えていたそうだ。ある年の運動会、友達からちょっかい出されていた息子。2回までは我慢し、3回目にオヤジの顔を見てから友達をボコボコにしたと笑いながら話していたな。
【もうひとりの辰五郎へGO!】

鈴木イチローほどメジャーではありませんが、源義経に支えていた鈴木三郎重家の末孫。
和歌山の熊野に生まれ、後に中野に移り住みました。熊野より若一王子宮(祭神・天照大神)を祀り、痩せ馬を育てながら細々と暮らしていました。
ある日、その痩せ馬を売ることに…「どうか高値で売れますように。儲けた代金の中の大観通宝はすべて観音様に差し上げます」と浅草観音にお参りしたそうな。
すると、痩せ馬は高値で売れ、手にしたお金はすべて大観通宝。
その日の食べ物にも困っていた九郎でしたが、約束通りすべて観音様に奉納しました。
すると、後に幸運の芽が出て、中野長者と云われるほどの資産家となったとさ。
この御利益は先祖、熊野のおかげだと、1403年十二社熊野神社を建てたそうです。
【熊野の祟りへGO !】

江戸時代、宿場として栄えた内藤新宿。甲州街道の最初の宿場。
家康からの信頼が厚かった内藤家の土地の一部にできたもので、新宿御苑は内藤家の屋敷後だ。東は四ッ谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保あたりと広大な土地を拝領していた内藤家。今の「新宿」の根源となった。
明治になって、宿場は廃止されたが、商業・娯楽の場として栄え続けている、眠らない街・新宿です。渋谷といえば「ハチ公」待ち合わせ場所の定番だが、あまりにも人が多すぎて待人探しに苦労します。
ご主人が亡くなっても、帰りを待ち続けていた忠犬ハチ。銅像の除幕式には、ハチ本人も出席したそうだ。へぇ〜。
忘れてならないのが、やっぱり下町・浅草。大衆酒場の神谷バーです。
神谷バーといえば、ブランデー・ワインキュラソー・薬草などがブレンドされた「デンキブラン」
日本人が考えた最初のカクテルだそうだ。アルコール30度、一杯260円でございます。
明治13年の創業以来、大正、昭和、平成と時を超え、庶民の社交場として栄えている。
今でも大正ロマンを思わせるハット姿のおじさまをお見かけします。粋ですね。

東京土産店には、必ず置いてある「ひよこ」  実は、本場は九州・小倉なのだ。九州へのお土産には避けてくださいね。北海道を代表する銘菓「白い恋人」発売当初は名古屋で製造されていたとか…本当かどうか知らないけど、よくある話ではあるのかな。
東京土産には、やっぱり東京バナナか、お菓子のホームラン王・ナボナでしょうか。
味はともかく東京育ちには間違いない。
【江戸の名物へGO!】