こころのカタチ

2010.11.1

新書体「きりぎりす」

今年の夏はとにかく暑かった。やっと、秋らしくなっきたと思えば、一気に冬になってしまったようだ。ここ2.3日はあったかいが。異常気象か、海水が高い日が続き、3年ものの牡蠣が全滅状態だと、嘆いてた牡蠣会社。野菜も高騰。屋久島は台風続きで、またクマの被害も。どこかでリズムがくるえばそれにより被害も出てくるようだな。人間も同じように思う。尖閣諸島、北方領土。ねじれにねじれた国会といい話は少ないが、そんな中、水島ヒロのポプラ社の小説大賞は凄いことだな。余り詳しくは知らないが、あの若さでしっかりしたポリシーをもって生きている。賞金はこれからの人材育成に使って欲しい。となかなかかっこよかとばい。彼自身の心に決めた生き方を見せてくれたようだ。当然才能はあるのだろうが、努力無しではありえない。立派だな。
もう今年も残すとこ2ヶ月をきってしまった。年々早く感じる一日一日。頑張って生きてる人のうれしいニュースを聞くと何だかこちらまでうれしくなってくる。自分は自分なりに自分のスタイルでこれからも生きていこうと感じさせてくれる。今年最後の書体になるが「きりぎりす」ができた。F1000版のキリギリスを制作して3年、おかげさまで人気もののようだ。だがもすこし文字数があるとさらに使いやすくなるだろう。と思って拡張。印象はほとんど変わらないと思うが、全文字手を入れることになった。どんな書体を創ってもそれなりに手がかかる。苦しんで創ると表情が文字に出てしまう。苦しむ前に楽しまなきゃといつも思って制作するようにこころがける。次の書体は歩く明朝、「あゆみん」。ウオークシリーズと少し歩き方を変えてみようと思っている。来年2月予定で。また歩いていく。

2010.09.24

新書体「筆七七」

今年の夏はとにかく暑かった。やっと秋らしくなってきた。そんな中7月に斉藤哲夫さんと野澤享司さんのライブに行って来た。野澤さんの生ギターはとにかくよかった。奏法は知らないが、コードを上から押さえ弾き、同時にリード、ストローク、またパーカッションのようにギター叩いて音を出す。1人で3役ぐらいの音をギター一本で聴かせてくれた。目をつぶって聴いていると、3.4人ぐらいで演奏してるような。引き込まれるような不思議な気分だった。テクニックにも感動したし、ギター1本にこだわる生き方、自然と対話しながら、音を出す。人柄が伝わってくるような。そんな感じがした。ギターよかったですね~。と少しお話させてもたったら、ギターだけ?と気さくに言われたので歌ももちろんよかったですよ。と.斉藤哲夫さんと30数年の友人だそうだ。なんかいいな~。と思ってしまった。斉藤哲夫さんは何度かお酒の席もご一緒させてもらったこともあるし、カラオケも酔っぱらって行ったことがある。毎回ライブの案内は直筆でいただくのでありがたく思っている。私にすれば18歳の頃、はじめて歌本で見たあこがれの人でもある。80年代には糸井重里さんが作詞した、「ピカピカ。」いまの君はピカピカに光って~。宮崎美子さんのミノルタのCMソングを歌った人っと言えば知ってる人はかなりいると思う。以前飲んだ時より少し痩せてたので、やせたね。と言ったらミュージシャンは太ったら駄目でしょ。もうすぐ還暦だから、年を取ればやせるんだよ。なんて言ってたけど。元気そうだったのでひとまず安心。子離れしたし、少しずつ活動を再開してるようだ。まだまだ素敵な歌をいっぱい歌って欲しいものだ。その頃制作中だった「筆七七」下町の威勢のいい、ねじりはちまきのオヤジさん、強面だけれどこころはやさしい、頑固だけど実はシャイだったり、神輿を担ぐ時は人が変わる。そんなイメージをもっていた。丁度斉藤哲夫さんの下町を題材にした「さんま焼けたか」がぴったりじゃないかと思ってしまった。ので組見本は歌詞を拝借。今度のライブの時にでも事後報告ということで。ご勘弁を。今年も残り3ヶ月となってしまった。まだまだ創りたい書体はあるが、次の書体は「キリギリス」をDS版に拡張する予定。発売から3年も経てば、印象は変わらないと思うが、すべてに手を入れることになりそう。

2010.07.05

新書体「ダダ」

もう梅雨に入ってるが、今年はあまり降らないのか?まだまだこれから降るのか?でも九州南部では土砂崩れ、豪雨の災害も出てるようだ。W杯は楽しみに見てたけど、ベスト8を惜しくも逃したパラグアイ戦。延長後のPK負け。仕方ないな。こればかりは。よく戦ったし、楽しませてくれた。つい最近、MACがとんでひどい目にあってしまった。バックアップは常にとっておかないと大変なことはわかってるが、ついついこれが終わったらにしようと思っていたが、突然とくる。文字作りは長い時間かかるので、ショックは大きい。だが仕掛かり文字のほとんどが救出できてよかった。そんなこともあって立ち往生もありながら、少し予定より遅れて「ダダ」が完成。やんちゃ、駄々っ子、ダダイズム。強さもほしいが重くない書体と思って制作した。大胆に、使ってもらえるとうれしいな。どこかで跳び回り、走り回ってることを楽しみにしている。次の書体は丸い文字も創って見たいと思ってるが、筆文字「筆七七」。習字を習ったのが丁度77年、七が2つということもあってネーミングは決めた。以前、「筆七」をつくったが、もっとボリューム感を持たせた書体にしようと思ってる。今年ももう半分が過ぎてしまった。早いものだ。まだまだつくらなきゃ。次は秋頃の予定。

2010.04.10

新書体「ありんこ」

桜はもうすっかり開花したが、もう4月というのに、あったかかったり、寒かったり。変な天気が続く。おかげで野菜が高い。キャベツもレタスも1玉300円ぐらいと3倍近い。寒波の被害を受けた梅は2割程度しが収穫がないようだ。そろそろ梅酒の時期なのに。
早いもので今年も1/3が終わろうとしている。
一月に出した「照和70」、好調のようだ。いつも買ってくれる人、使ってくれる人がいて、うれしい限り。感謝感謝。ありがとうございます。
春から夏にかけてせっせせっせと食べ物を集め冬支度をする「ありんこ」ができた。さて今年の冬はあったく過ごせるか?。Font1000版で3年前に出した「キリギリス」も人気者のようだ。キリギリスを創ったのでありさんも創らないと完結しないな。なんて思って制作に取りかかった。いずれキリギリスも拡張してありんことセット販売できればと思っているのだが。
もともとどちらかというと私はキリギリスの性分のようだが文字づくりばかりは、ありさんにならないとつくれない。毎日せっせせっせとありさんの気持ち。
この書体は手書きのイメージを出すために、筆のはいりの部分とトメの部分に筆圧を残して抑えた。ちょこちょこ歩くイメージで仮名は少し小さめにし、動きをつけてみた。またどんな表情を見せてくれるかが楽しみ。次の書体のラフスケッチは頭の中。ネーミングは決めた。「ダダ」。駄々っ子、やんちゃ。わがまま、暴れん坊、強弱、インパクト、ストロング、ダイナマイト、ダダイズム。そんなことを思いながら、可読性もよりアート性の強いものを創りたいと思っているが。どれだけ気持ちよく大胆にハズせるかが勝負になりそう。また夏目指して、ありさんにならなくちゃ。

2010.01.22

新春新書体「照和70」

コンビニなんてなかった頃、10円玉をにぎりしめて行った駄菓子屋さん。今じゃお祭か下町でしか見かけることはでないが、とってもなつかしい。ジュースと言えば粉末ジュース。はじめて飲んだ瓶ジュースは、「コカコーラ」と「ファンタ」。コーラが35円、なぜだかファンタが30円。遠足のおやつは50円まで。と決まっていた。バナナが1本30円もした。まだまだ高級な食べ物で、一般庶民には手が届かない存在だった。小学生の頃の思い出である。多分「ミツヤサイダー」はそれ以前にあったように思うが、大人の飲み物だったように思う。中学生の頃、はじめて食べた、カップ麺、日清の「カップヌードル」。この即席麺は感動ものだった。ちなみに今も好きだがノーマルのものとカレー風味はとってもいい。発売当初ヌードルという言葉がヌードと似ていることから、「ヌ」の文字が小さく表示されていたことを後で知った。
テレビはまだまだオヤジの持ち物、チャンネル権は子どもにはない。その後、手にしたトランジスタラヂオ。夏休みにともなれば、蝉採り、カブトムシ採りと海に行くのが毎日の日課。ラジオから流れてきたカルメンマキの「時には母のない子のように」。とっても寂しげで、切なくて、子ども心に強くこころを打たれことを思い出す。家ではオヤジの好きな、古賀メロディの「湯の町エレジー」。「酒は涙かため息か」。をよく聴かされたというか、よくオヤジがギターを弾いて歌っていた。その頃歌謡曲が最盛期で「ブルーライトヨコハマ」、「よこはまたそがれ」がよく流れてたように思う。今よく再放送の番組があるが、うれしいことだ。とっても懐かしい。中学生の終わりの頃から、「旅の宿」「結婚しようよ」がよくかかっていた。フォークソングとの出会いである。先日亡くなった、加藤和彦さんはそれ以前、小学校の頃よく流れていたが、フォークソングとは思ってなかったように思う。「おらは死んじまっただー」と楽しい歌だったな。常に最先端を行ってたアーティストだった。とっても残念。その前にはキヨシロー、河島英五、高田渡、天野滋、浅川マキ。私の青春時代、歌の背景にいっぱいの思い出があるだけに、時代を創った人たちの死は悲しい。
オヤジはカーラジオから流れる「結婚しようよ」聴いて、不思議そうにしていたことを思い出す。オヤジの時代はやっぱり演歌、歌謡曲で、歌がうまいことが歌手であったように思うが。そしてその後、陽水の「東へ西へ」と出会う。オヤジが持っていたガットギターにスチール弦を張りかえて、ガチャガチャ、コードをやっていた。バイトで貯めたお金でフォークギターを手に入れて、高校生の頃友人宅で、夜遅くまで騒いていたな。最近は余り里帰りしてないが、その友とは帰省の時は必ずむかしばなしで一杯やる。
まだまだレコードも買えない時代。友人はプレイヤーを持っていたから、しっかり録音してくれた。陽水の歌詞カードの文字がとても気になっていて、カセットテープにも陽水のマネをして書いてた。その頃は文字を書くことを職にするなんて微塵も思ってなかったら不思議だ。その時代にうまく歌うことより、いかに伝えるかと言うことを教えられたようにも思う。そしてそう言う気持ちでまた新しい書体に取りかかろう。次の書体は「ありんこ」。今春完成目指して。

2010.01.01

あけましておめでとう2010

年末の忘年会続きのせいか、歳をとったせいか、数十年ぶりに、体調を壊してしまった。無理がきかない歳になってきたのか。今までにない体の重さと腹痛続き。お正月というのに元旦早々熱いお茶で過ごす。情けない。無理はしていないつもりだが、体は正直なようだ。昨年は原因不明の10円ハゲも経験した。完治まで3ヶ月もかかった。これもはじめての経験だ。酒の量は最盛期に比べ1/10ぐらいになっているが、体を全く動かしてないことで体力もすっかり落ちてきたんだろう。今年は適度に運動もしなくてはいけないな。まだまだやりたいこともいっぱいあるし、創らなきゃいけない文字もある。ようやく生涯の目標とする半分の文字をつくることができた。まだまだくたばる訳にはいかない。気合いを入れてまた一年、文字づくりに没頭したいと思う。今年もまた一年、よろしくどうぞ。さいくさやすし。

2009.11.05

「新書体一支國」

あっと言う間に、春が去り、夏が終わり、もう町の街路樹もすっかり色づいてきた。そろそろ紅葉も終わりだ。今年も残すとこ2ヶ月を切ってしまった。一年はあっという間に過ぎていく。何かの番組で同年齢のタレントが言ってたが、若いときは知らないことや、覚えることもいっぱいあるし、興味があることも多すぎて、長く感じるんだろう。今はいろんなことを年と共に吸収してきたから、これも知ってる、あれも知ってるで、すぐ過ぎてしまうと言ってた。確かにそうかも知れない。若い頃の一年は長かったな~。
この一年も文字づくりにほとんど時間を使ってしまった。春に「ステージ1」夏には「トゥモロースキップ、ドリーム、、フラミング」を制作することができた。書体の本も書くことができた。そして最新の「一支國」ができあがった。ハライは楷書のように、ハネあげは、六朝体、隷書のように、筆の腹で押し上げるように力強く跳ね上げ、筆の動き持たせた書体。古くささの中に、少し新しさを感じてもらえばうれしいのだが。デザインシグナルセレクト版として、ダウンロード販売をはじめて一年がたった。少しずつではあるが、順調に伸びて来たように思う。使ってもらえることに感謝です。最近随分、フォントのダウンロード販売のサイトも立ち上がってきた。いくつかお誘いいただいて、サイトに提供しているが、やっぱり、ゲームとか無料ダウンロードが多いサイトでは売れない。タダのモノを捜しに来ているサイトでは、いくらアクセス数を誇っても有料の商品は売れない。まして1万円を超すモノは到底無理だ。客層が違うんだな。このあたりも考げて、よくよくは整理していかなくてはと思う。使用されたモノを見て、また買ってくれた人たちに励まされ、また次の書体に取りかかっていく。送り出したいくつもの分身たちに会えるのを楽しみにして。しばらく雑用をすませたら、来春向けて取りかかろう。次の書体は「照和70」70年代を意識して。

2009.07.15

「書体を読む」ができました。2009.7.21発刊。

昨年末、ソシム社の野上勇人さんから本を出しませんか。と声をかけていただいて、進めてきた書体の本。7月発行ということで、ずいぶん先の話と思って、年内はほとんど手をつけず、新年から文字描きしながら、どんな内容にしようかと思いつつ、1月が過ぎた。2月に入って、とりあえずページ構成をし、うっすらイメージができあがった。それからなかなか制作に入れない。一日中、文字描きのカラダになってしまっていて、どうも集中できない。あっという間に2月も終わってしまった。7月発行となると、4月にはほぼ内容ができていないと、と、少し焦りはあったが、リズムがつかめない。まだ自分の中に余裕があったのかも知れない。デザイナーは少し切羽詰まらないとエンジンがかからない。そんなものだな。書体づくりを夜だけに回して、日中は本の時間と決める。そうしていても本になると一日で集中できる時間は少ない。文字づくりは10時間ぐらいはぶっ通しでやれるのにな。本に2.3日集中して2.3日は文字の時間に切り替える。そうして、章ごとの内容ができたことで、一気に乗れてきた。レイアウトをしながら文も書く。全体が見えてきたことで3月後半からはかなり集中できた。5月末完全データ入稿。そして校正に時間を取ってひと休み。7月に入って色校。そうして無事、予定通り発刊することができた。協力いただいた方々に感謝。もー今年も7月中旬。あったいう間に過ぎさってしまった。この一年もあっという間に終わりそうだな。一段落ついたことで、遅れ気味の文字描きに集中しなきゃ。

2009.03.29

もう早、3月も終わり。

久々の更新になってしまった。あっという間に3月も終わってしまった。昨年から取りかかったステージ1がやっと手離れする。いつものことながら出来上がりは、やっぱりうれしい。少し大人で、若い頃流行ったトラッドぽいイメージを持っていた。「IVY」「VAN」「アメトラ」「REGAL」「ボタンダウン」「コインローファー」チノパンでなくコッパン。どことなく、小綺麗であるが、頑張り過ぎない格好っていうか、そんなイメージで制作した。毎回のことながら、文字づくりは終わりがない。創った端から気に入らないところが、追いかけてくる。どこかで終わりにしないと次に進めない。100点は一生かかっても無理だから、ある程度自分の中での合格点をつけないといけない。そしてまた分身を送り出して、使ってくれる人たちに評価をいただいて、また新しい文字に取りかかる。次の書体は、左手の法則「フレミング」いや「フラミング」フラフラ+明朝+ハミング。フライ+明朝+グー。ってとこかな。出来上がる頃は秋頃かな。またコツコツ、新しい気分でスタートしよう。

2009.01.01

あけました2009。

ほとんどの時間を文字創りに費やした一年。トゥモローウォーク、ユーミンウォーク、バースディ19.21。そしてフォント1000版の流七。デザインシグナル版の販売も夏からはじめることができた。今年も時間が許す限り書体制作に時間を費やして行こう思う2009。それにしても世の中少しは良くなるかと期待した2008年。景気も少しづつ回復しつつあるように思えたが、後半とんでもない世の中になっちまった。人を物のように切り捨て、日比谷公園で年末年始をおくった人々。まさかこんな事態になろうとは想像もしてなかっただろう。立派に見える会社も今は人より金が大事で会社は株主の為にあって、支えて人たちはどうでもよくなってしまったのか?悲しい世の中だ。お国の対策も今ひとつ動きが鈍い。どーするんだ。という人たちの悲しい叫びが聞こえてくる。今年もまだまだ厳しい状況が続きそうだが、夢を持って頑張って生きていくしかない。自分をもって生きていけば、きっとステキな時が来るのだとおもう。信念をもって新しい一年を。新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくどうぞ。

2008.11.25

バースディ19、バースディ21。

二十歳になれば大人と思っていた19歳。二十歳を過ぎて1年。結局何にも変わらない。30ぐらいの人を見るとしっかりした大人に見えた3昔。自分が30になっても、40なっても、50になっても変わらない。変わったことと言えば、シワは増えたし、白髪も出てきた、体型も変わった。でも内面はちっとも変わらない。70まで生きたとしたら、35が丁度折り返し地点。この頃が一番の大人かもしれないなんて。成長は35で止まってしまったのか。折り返しからまた子供に向かってるんじゃないか。そんなことをふと思った。としたら今の私は19歳。どんどん子供に向かってく。そんなものかも知れないな。特に男は。一生子供でいたいんだな。好きなことに夢中になって。わずらわしいことには関わらず。
そんなことを思いつつ、バースディ書体の制作に取りかかって半年。子供のような、高校生のような、誕生日おめでとうと言われても、うれしいのだけど照れくさく、頭ぼりぼりかいてるような、そんなイメージを持っていた。やっと完成。毎日のコツコツがカタチになった時はいつもうれしい。そしてみんなに使っていただいて、呼吸をはじめる。手離れして分身を送り出し、いろんな媒体で再会出来ることが制作者としての一番の楽しみ。後ネット販売先に書類、データを納めれば終わり。まだまだ制作したいものはいっぱいあるが、そう簡単に出来ないからな。少し軽軽が続いたから、次回は少し私の大人を描いて見ようと思う。ネーミングは決めた。「ステージ」。いつもラフな格好でいるが、背広とネクタイまではいかないが、ジャケット姿ぐらいの少し小綺麗な感じになれば、と思ってる。また来夏に向けてスタート。

2008.11.22.23

第2回たきびの会、山梨・水口 Regreen Base。

たきびの会第2回は先月に続き、リグリーンベース。2時集合出発。晴天できれいな富士山がはっきりと見えた。さすが富士だ。やっぱり山の上に頭を出した富士は偉大だ。前回のようについてさっそくほうとうをいただく。うまかった。食事後、温泉。夜景が見える温泉でゆっくり。温泉に入ってきれいな夜景、最高だな。後、たきびの準備と食事の準備に取りかかる。こだわりの北海道出身の杉氏が取り寄せたジンギスカン。何種類も味を確かめて買ってきたジンギスカンらしい。ブロックで買ったものだから、堂々の厚きり。臭みもないし、それにタレも甘からず辛からず、最高。それに名前は知っていたが、食したことのないジャガイモ「インカの目覚め」。自然の甘みがいい。うまいじゃがいもだ。味付けするよりそのままの方が素材のよさが出て私は好きだな。それにチーズ燻製、スープ、お店の人の差し入れの豚汁。と、おいしいものを食べながら、ワイン。あっという間のいい一日だった。2時過ぎに三階の部屋で寝袋でおやすみ。夜はかなり冷えた。寒かったな。2日目はみんな早起きして朝温泉。前回と同じく「ほったらかし温泉」いい天気だったからこれもまた温泉から堂々の富士山か見える。ああ~ついてた。最高。朝食はこだわりの渡氏がドングリを茹でて潰して乾燥させてパウダー状にした、ドングリ粉入りホットケーキ。んん。うまかった。バナナを焼いて入れたり、リンゴを焼いて入れたり、バリエーションも楽しめた。この会は料理作る人も、味にこだわり人もいるから私の出る幕なし。やったことと言えば、リンゴの皮むきとマシュマロを焼くための竹串つくりぐらいか。まあ。そんなとこさ。火を見てたわいもない話するのも、自然を食べるのもいいもんだ。次回は未定だが、年内にもう1回ぐらいやりたいと思う。ごちそうさま。


PHOTO:KISHIN SUGIYAMA

2008.10.17.18

第1回たきびの会、山梨・水口 Regreen Base。

今世の中よくないから、疲れてる人いっぱいいるね。犯罪も多いし、不正も多いし、他殺、自殺、暗い話ばっかりで。古きよき時代、貧乏でもこころは豊かだった昔が懐かしい。そんな話をお酒の席で友人としてた。火を見てるとこころが安らぐ。水の音、風の音、自然、ゆっくりとこころにやさしい時間。そんなことをしたいね。で、はじまったたきびの会。記念するべき第一回は、リグリーンという古い養蚕農家の家屋を改造したギャラりー&コーヒーショッブ。格安でお願いして、野郎5人と+α。金曜日に二子玉出発。2時間ぐらいで現地到着。インター下りたら、さすが山梨。しっかりぶどう園がお出迎え。ゴルフ場計画予定だったところにある、ほったらかし温泉に直行。ゆっくりお湯を楽しみ、目的地リグリーンへ。さっそく、山梨名物、ほうとうをいただく。しっかりした極太麺はもちろん手打ち。うまっかった。少ししてたきびの準備。田んぼのはじっこを耕して、火をおこし、焼き肉、やまめ、鶏、シシカバブーとちょいっとオシャレ。アウトドアが好きな奴がいるから、料理はおまかせ。持ち込みの焼酎といただいた山梨ワインで乾杯。店主も参加。あっと言う間の時間だった。宿ではないが、2階で寝袋でみんなで雑魚寝。たまにはこんな宿泊もいいな。ここ何年もキャンプなんてしてないからな。翌日は早起き。朝風呂はいって買い出し。みそ汁にごはんと納豆。自然での食は旨いな。最高の贅沢や。ぶどう食べなかったな。残念。帰りは店主がやってる焼きのもの工房でピサとパスタで昼食。ゆったりした時間がおくれた。月1ぐらいで開催しよう。あまりお金をかけず、次回は11月後半になるだろう。次回も楽しみ。

新しいライフスタイルを提案するプロジェクト
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Regreen Base

2008.10.4.5

泉谷しげる還暦ライブ。

70年代。私が高校生の頃、しっかりフォークソングにはまってた時代。拓郎、陽水、泉谷しげるは、あこがれの人そのもの。高校生のはじめの頃は拓郎、陽水、をよく聴いていたが、3年生の頃になると、泉谷に熱中していた。泉谷しげるのこもった声と、鼻にぬける歌い方と、高音を張りあげる声と独特な泉谷節がたまらなく好きだった。黒い鞄、東西南北、春のからっ風、白雪姫の毒リンゴ、うられうられて、などなど。照れかくしの暴言もとってもよかった。当時、シンガーソングライターはテレビに出ないことがジンクスで、ラジオ一本でヒットをとばすことがステイタスだった。映像で見ることはほとんどなかった。ヤングギターという本と歌本の写真でしかお目にかかれない。だがしっかりメッセージを届けくれた。フォークの時代が去っていく頃に、泉谷は、悪役でテレビ出演。ジンクスを破ったのは泉谷だろう。これも泉谷らしくて好きだった。うれしかったな。泉谷が出る番国は飛びついて見ていた。あれから30年以上立っても彼が出る番組は楽しみにしている。言葉とうらはらの暖かさ。いいオヤジだな。
昨日、オールナイトで還暦ライブがZEPPU東京で行われた。5.6年前になるか、いやもっと前かな。新宿か四谷で聴くことができたが、その時以来の久々ライブだった。数ヶ月前から抽選予約していたが、運良く席は7列目のど真ん中だ。かなりステージに近く、飲みかけのボトルとギターピックと右手にしている指だし手袋が飛んできたがゲット出来ず。一列前の人にとられてしまいました。残念。懐かしき、オールナイトニッポンのテーマ曲で入場。このあたりの仕掛けも泉谷らしいな。一部は新曲を中心に、赤いTシャツ姿で。懐かしき、おー脳、野良犬、春のからっ風.春夏秋冬、終わりを告げる、などなど20曲。2部は生ギター中心に大好きな白雪姫の毒リンゴ、寒い国から来た手紙、陽が沈むころ、になどなど20曲、涙が出るくらいうれしかった。3部は現場作業員のコスプレで、フォークロック中心に新曲、懐かしの黒い鞄、Dのロック、眠れない夜、国旗はためく下に、などなど。20曲、朝3時過ぎてたが、拳は挙げるわ、足は挙げるわ、ジャンプするわ、もうみんなノリノリ。当然来場者は40~50代が大半を占めてたようだか、この日ばかりはみんな青春に戻ったようにも思う。アンコールに2曲、全62曲を歌いきった。休憩は2回あったものの、全身で歌い続けた泉谷は凄い。1500人もの人たちをしっかり楽しませてくれた。いつものように会場から「泉谷がんばれ」「しっかりせー」なんてヤジも飛ぶ。「うるせー!」「静かにしろ!」なんて泉谷らしさが返ってくる。みんなとの対話を楽しんでいる泉谷は、きっとこれから先も、もっと偉人になっても、同じ目線で対話するんだろう。かっこよかとばい。朝方、DVD、CDを買ってくれた人たちにはしっかりサイン会。かなり並んだがひとり一人サインして、話して、握手して。疲れきってたはずなのに。還暦とは無縁であるかのようにタフだし、何よりもこころがステキだ。世の中今は悪いから、元気でいられるようにみんなにパワーを贈ってるんだ。サイン会の後ちゃっかりフレームに収めてもらいました。恥ずかしいくらい満面の笑顔です。よかった~。お疲れさんでした。

骨偏に豊かで旧字の体。メタボのお父さん、カルシュウム不足の子供たち、走らなきゃ。カレンダーの為に描いた「體」

2008.09.06

夏も終わり。

テレビにくぎずけのオリンピックも終わってしまった。北島康介の挫折からはい上がりの4年間、何も言えないことばの通り、何も言えない感動をいただいた。苦しい時期を乗り越えての2連覇、うれしさを言葉にできない程のうれしさだったんだ。あの言葉だけで彼の苦しかった背景が想像できる。柔道の内柴選手も同じだ。頂点を極めて目標を失っていた彼に、お父さんはチャンピオンなのになんで負けるの?子供の言葉が彼を奮い立たせた。ビニールハウスの手作りプールで寒い時期も目標に向かってひたすら泳ぎ続けた松田丈志選手。自分色のメダル。とってもいい言葉だった。陸上リレーで初の銅メダル。一度は引退を決意した朝原選手の陸上人生でサイコー瞬間だったろう。この4年間、ずっとこの日を目指してきた人たちに教えられることいっぱいで、何も言えない、感動をありがとう。

8月17日には江戸三大祭のひとつにも数えられている深川の富岡八幡の水かけ祭りの本祭りも行われた。この日は少し気温が低く、小雨が降るなか見学。さすがに寒そうにも思えた。50数基の神輿が繰りだされ行われた。水をかぶれば御利益あるかとおもい短パンで出動。でもかぶらなかった。残念。

十十文句を言うと文字は警察の「警」言うが取れれば尊敬の「敬」敬老の「敬」。この歳にならないと尊敬されないのかもね。カレンダーの為に描いた文字、「敬」。

2008.08.03

京成立石の立ち喰い寿司、栄寿司。

世界フライ級チャンピオン内藤大助選手、3度目の防衛おめでとうございます。すっかり庶民的チャンピオンになった内藤選手。飾らない人柄が今じゃ、すっかり人気者。チャンピオンが住んでる葛飾区の京成立石駅にある立ち喰い寿司、栄寿司。飾らない下町の味を味わえるお寿司屋。新鮮で旨い。酢飯は赤酢を使ってるのかな?と思うが、まろやかで少し黒い。空気を包み込むように柔らかく握ってある。魚はどこの寿司屋でもあるようなネタから、変わり種もある。貝類も豊富。一貫100円~300円と安いし旨い。前にも一度行ったことあるが、トコブシの握りはサイコーだね。海育ちの私の好物。つぶきももうまかった。ビールは小瓶のエビス。にくいね。いつも行列ができるようだがタイミングよく入れた。よく食べる人でも3000円ぐらいかな。私はビールも飲んで2500円程度。勘定も握りながら頭で計算。さっとすばやく。さすがだ。やっぱり安いな。うまいな。江戸っ子職人だね。また行かなくちゃ。となりにあるモツ煮込み屋さんもかなり有名らしい。寿司の後行くつもりでいたが、さすがに食べれそうにないからやめた。次回の楽しみにしよう。下町はいいな。そうそう帰りの鶏の半身の丸揚げ買って帰った。なんて店だったか。かなりここも有名らしい。

もう8月になってしまった。木に寄りかかった人。人偏は元々男の人を表す。夏休みは男の休日かもしれないね。カレンダーの為に描いた「休」。

2008.07.24

トゥモローウォーク、ユーミンウォーク完成。販売開始。

修正作業をはじめて3ヶ月。気になる文字を修正し、フォントグラファに貼り込んで、フォントを生成する。何度生成したのだろうか。誤字をチェックし、ゆがみ、パスのはずれをイラストレータ上でチェックする。フォントグラファに再び貼り込み、フォント生成。何度何度も繰り返し作業。気になる部分が出てきたら、またやり直す。ああ~疲れた。チェックと修正作業はちっとも面白くない。いくら修正しても、そんなに大きく表情が変わる分けないからな。でも販売する以上、ある程度自分が納得しないと終わらない。以外と手こずった。やっとこさ完成。ダウンロード販売先に納品する、エクセルデータとワード。ほとんど使ったことがないエクセルとワードでテキストをつくって、web用画像の整理。シリアル番号の生成。私じゃ無理なので、友人KW氏にお願いし、つくってもらった。おかげさまで、書類も問題なくクリア、やっと販売までこぎつけた。送り出した文字たち、どのような表樹を見せてくれるだろうか。楽しみ。手離れし、少しの達成感。でもゆっくりはできない。次の文字たちが待ってる。来春にかけてバースディ書体の制作。納期はないのだけど、生涯50書体。体力があるうちにどんどん走らなきゃ。

もう梅雨は明けたのかな。余り降らなかったように思うが。
来年のカレンダーの為に描いた文字、「雨」。

2008.03.22

遠藤賢司ライブ。

確か1979年だったと思う。岐阜の椛の湖で行われた野外ライブ「いこまいか」。ともだち大勢で出かけた真夏の野外コンサート。高石ともやとナターシャーセブン、小室等、ムッシュかまやつ。杉田二郎。他にいっぱい出演者はいたが余り記憶にはない。とにかく暑くて、Tシャツ1枚で汗だくで最後は裸だったように思う。ビールの飲みながら、寝そべって聴いてたように思う。椛の湖をゆっくり走ろうって企画も行われていて、子供と一緒に走ってたマラソンの君原選手も来てたな。そこで目が覚めるような、山奥から機関銃のごとく音をステージにとばして、音とともにステージに近づいてくる人が遠藤賢司だった。私が知る遠藤賢司はシルクハット姿でロン毛「踊ろうよベイビー」って曲で時代を風靡した人だった。さっぱりと切ったテクノカット頭でそれはすごい。音も凄いが、完全に目が覚めるほどのパフォーマンス。あの時の記憶が脳裏に焼き付いている。それから28.9年。久々にライブにでかけた。還暦だと思うが、やっぱり凄い。あのパワーはどこから来るんだろう。ずっと自分の音楽を追究した結果なんだろうと、つくづく思う。永遠に不滅がよく似合う。いくつになっても自分を貫く姿はかっこいい。最近、森山直太郎と僕らの音楽って番組出演。そのせいもあるのか、わたしと同年代の人より若者が多い。アコースティックが若者に受けいれられてるのは確かだ。時代は回る。そんな事も思った。私の大好きな曲「踊ろうよベイビー」も「カレーライス」も歌ってくれた。うれしい。その後一杯いいお酒が飲めた。

2008.02.12

門前仲町。

最近のお気に入りのスポット、深川の門前仲町。駅を出てすぐ、東京一大きい八幡神社、富岡八幡がある。江戸三大祭りの深川八幡祭は、水かけ祭りとも言われる、とても見応えのある祭りだ。今年は本祭りだそうだ。ぜひ行ってみたいもの。下町深川でここ最近おきに入りのお店がある。大衆酒場、魚三だ。午後4時開店。いつも行列、いつも満席。でもとにかく安い。旨い。新鮮。あら煮がなんと50円。刺身類が200円台~500円程度。中トロでも600円台と、とにかく安い。600円台はこの店では高級品クラスだ。お酒好きで魚好きの人にはたまりませんね。元々魚屋さんだった店主が仕入れ先をフルに使って大量仕入れ。お客さんにたくさんおいしいものを食べてもらいたい。と言う江戸っ子の心意気。うれしいことに熱燗も一杯180円。破格の値段だ。先日食べたカンパチは580円がサービス値段で430円。ただでさえ安いのに、安く入れば量もプラスしているらしい。頭があがりません。だだ暗黙の中にもルールがある。店内はコの字型のカウンター2つ。50席ぐらいと思うが、その中にお店の人が各一人。席に座ったら飲み物の注文。飲み物の注文を聞いたら厨房に指示。さっささっと行ってしまう。魚の注文は近くに来たときタイミングをみはらかって注文。これがなかなかむずかしい。注文うけても余り返事は帰ってこないから聞こえてないものと思い繰り返すと、怒られる。 しっかり聞いてる。先日の若者が怒られてたな。そんなことは知らず入った店だが、通っているとわりと親切。しっかり覚えてくれてる様子。注文も頭で聞き、計算も暗算だ。すこしの時間も無駄をしないって考え方なんだろう。逆に言うとその分が価格に還元されてるんだと思う。この前となりの席のおじさんと話が弾み酒一杯ごちそうになりました。下町はよかと。

2008.02.02

懐かしのアルバム。昭和52年2月5日。

先日、食料を買い出しに近くのスーパーへ出かけた。有線から流れてきた「風になりたい」って曲だ。鹿児島県の屋久島出身の我那覇美奈さんがカバーしているようだ。ステキな歌声にしばし立ち止まって聴き入っていた。拓郎の作詞作曲で30数年前に、フォーライフレコード設立時に、フォーライフ第1号のシンガーソングライター、川村ゆうこに贈った歌のカバーだ。拓郎もアルバムの中では歌ってはいるが、川村ゆうこの歌った「風になりたい」はヒットはしなかったようだ。川村ゆうこのやるせない、せつなげな声がとても私は好きだった。拓郎の曲だが私の中では川村ゆうこの歌としての思い出がいっぱい。第2弾も期待してたけど、結局出なかったようだ。私が20歳の頃だ。親元を離れて2.年、不満はこれっと言ってなかったようにも思うが、当時勤務の北九州から名古屋に転勤の時期でもあった。知らない土地で慣れない環境での生活がはじまった頃だった。その頃寮生活の中でよく聴いたLPだ。当時の様子が懐かしく思い出されてきた。同期入社で長崎県の福江出身の堀川、いつも昼飯は社員食堂で一緒。当時彼が話していた高校生の彼女。結局めでたく彼女と結婚した。同じようにフォーク仲間だ。もー32.3年はあってないな。彼は今は小倉でまだまだ頑張っているようだ。年に一度の年賀状。いつかは会いたいな。同期の楢木。仲良しだったな。行橋でまだまだ頑張ってるようだ。門司の榊、元気かな?昼休み、バドミントン、よくやったな~。八幡の達之輔、深夜までよく騒ぎ寮母に呼び出しうけたっけ。どうしてるだろう。音楽の背景に思い出の記憶はいっぱい。いいものだな。

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